大きなことをする必要はない。小さなことを大きな愛を込めて行えばよい。(おおきなことをするひつようはない。ちいさなことをおおきなあいをこめておこなえばよい。)
特別に大きなことを成し遂げなくても、日々の小さな行いに真心を込めることに価値があるという考え方を表す言葉。修道女マザー・テレサの言葉として知られる。
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そのまま使える例文
卒業式の送辞で「大きなことをする必要はない、小さなことを大きな愛を込めて行えばよい。マザー・テレサの言葉として伝えられているこの一文を、これからの支えにします」と述べた。
深掘りに備える — 由来
マザー・テレサの言葉として広く流布しているが、この一文の逐語の出典は特定されていない。修道会(神の愛の宣教者会)の公式サイトは、彼女に帰される言葉を「本人の言葉ではないもの」と「大きく言い換えられた版・個人の解釈」に分けて公開しており、英語圏で定着している "Not all of us can do great things.
聞かれたら: 「マザー・テレサの言葉として広く流布しているが、この一文の逐語の出典は特定されていない。」と正直に答えるのが最も強い。
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マザー・テレサの言葉として広く流布しているが、この一文の逐語の出典は特定されていない。修道会(神の愛の宣教者会)の公式サイトは、彼女に帰される言葉を「本人の言葉ではないもの」と「大きく言い換えられた版・個人の解釈」に分けて公開しており、英語圏で定着している "Not all of us can do great things. But we can do small things with great love."(私たちの誰もが大きなことをできるわけではない。だが小さなことを大きな愛を込めて行うことはできる)は後者、つまり逐語の引用ではない言い換えとして挙げられている。日本語の「大きなことをする必要はない。小さなことを大きな愛を込めて行えばよい」は、この言い換え版をさらに訳したものにあたる。一方で "Do small things with great love"(小さなことを大きな愛を込めて)が彼女の信条を要約する句として繰り返し引かれてきたこと自体は、カトリック系の各媒体でも一致して確認できる。思想の出どころははっきりしているが、この日本語の一文をそのまま本人が語ったという記録は確認できない、というのが正確な状態である。人前で引くなら「マザー・テレサの言葉として伝えられている」という形にしておくと、後から出典を問われたときに崩れない。
似た語と間違えない
「一日一善」が一日に一つという回数の枠組みを与えるのに対し、この言葉は行為の大きさではなく込める心の量を問題にしている点に重心がある。「塵も積もれば山となる」が小さな行為の合計が大きくなるという結果を語るのに対し、こちらは合計されなくても一つ一つに価値があるという立場を取る。「積小為大」も同様に大きくなることを前提にしており、この言葉とは行き先が違う。
対義語: 一攫千金、大言壮語
こんなシーンで使う
スピーチやESで、目立たない役割を引き受けてきたことを語る場面に向く。聴衆には「実際に手を動かした人の言葉」として届きやすく、抽象的な理念より具体の一場面と結びつけたほうが効く。ただし人前で引く際、逐語の出典が確認できていない語である以上、「マザー・テレサは言いました」と断定するより「マザー・テレサの言葉として伝えられている」と置くほうが安全である。また、規模の大きい成果を出した人の前で使うと、大きなことをした側への当てこすりに聞こえる場合がある。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 大きなことをする必要はない。小さなことを大きな愛を込めて行えばよい。の類義語は?
- 一日一善、塵も積もれば山となる、和顔愛語、積小為大
- 大きなことをする必要はない。小さなことを大きな愛を込めて行えばよい。はどんな場面で使いますか?
- スピーチで使うとき、ESに書くとき
- 大きなことをする必要はない。小さなことを大きな愛を込めて行えばよい。の由来は?
- マザー・テレサの言葉として広く流布しているが、この一文の逐語の出典は特定されていない。修道会(神の愛の宣教者会)の公式サイトは、彼女に帰される言葉を「本人の言葉ではないもの」と「大きく言い換えられた版・個人の解釈」に分けて公開しており、英語圏で定着している "Not all of us can do great thi…