初心忘るべからず(しょしんわするべからず)
何かを始めたときの謙虚な気持ちや、まだ未熟であった頃の経験を忘れず、その姿勢を持ち続けながら努力を重ねていくべきだということ。慣れた後も初心を思い出す戒めとして使われる。
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そのまま使える例文
座右の銘を尋ねられた際に「初心忘るべからずです。慣れてきた今こそ気を引き締めています」と答える。
深掘りに備える — 由来
室町時代の能楽師・世阿弥が著した『花鏡』を出典とする言葉で、複数の資料で確認できる(『風姿花伝』でも関連する内容が語られている)。『花鏡』奥段には「初心不可忘(初心忘るべからず)。
聞かれたら: 「世阿弥『花鏡』に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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室町時代の能楽師・世阿弥が著した『花鏡』を出典とする言葉で、複数の資料で確認できる(『風姿花伝』でも関連する内容が語られている)。『花鏡』奥段には「初心不可忘(初心忘るべからず)。この句、三箇条の口伝あり」とあり、続けて「是非初心不可忘」「時々初心不可忘」「老後初心不可忘」という三つの『初心』が説かれている。「是非の初心」は若い頃の失敗や未熟さを忘れず、当時の芸と現在の芸を比べる物差しとして持ち続けること、「時々の初心」は年齢や境遇の各段階で身につけた芸の初めての境地を忘れず、幅広い芸域を保つこと、「老後の初心」は「命には終わりあり、能には果てあるべからず」という考えのもと、老いてなお新たな芸境に挑み続ける心構えを指すとされる。これは初めて能に触れた頃の初々しい気持ちを保つという意味ではなく、どの段階にあっても自分の未熟さから目を逸らさず学び続けよという、芸を磨くための厳しい教えである。現代では「始めた頃の初心を忘れず頑張る(初志貫徹)」という意味で使われることが多いが、これは世阿弥が本来込めた意味とは異なる、後世に広まった解釈だといえる。
似た語と間違えない
初志貫徹は「最初に立てた目標や志を最後まで貫き通す」という一貫性・達成に重心があるのに対し、初心忘るべからずは目標の達成よりも「慣れによって失われがちな謙虚さ・未熟さの自覚を持ち続ける」という自己反省的な姿勢に重心がある。不忘初心はほぼ同義の四字漢語表現で、書き言葉的な硬さがある。
対義語: 慢心、驕り高ぶる
こんなシーンで使う
慣れやマンネリを戒めたい場面や、長く続けてきた人がスピーチ・自己紹介で謙虚さを示したい場面に向く。始めたばかりの人に対して使うと「まだ慣れていないのは当然」という文脈とずれてしまうため、本来はある程度経験を積んだ人が自分自身を戒める言葉として使うのが自然。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 初心忘るべからずの類義語は?
- 初志貫徹、不忘初心
- 初心忘るべからずはどんな場面で使いますか?
- 面接で聞かれたとき、ESに書くとき
- 初心忘るべからずの由来は?
- 室町時代の能楽師・世阿弥が著した『花鏡』を出典とする言葉で、複数の資料で確認できる(『風姿花伝』でも関連する内容が語られている)。『花鏡』奥段には「初心不可忘(初心忘るべからず)。