天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり(てんはひとのうえにひとをつくらずひとのしたにひとをつくらずといえり)
「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず——天はそう言っている」という意味。福沢諭吉『学問のすゝめ』初編の冒頭の一文で、生まれによる上下はないという前提を置いたうえで、現実にある差は学ぶか学ばないかで生じると説く議論の出発点になっている。
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そのまま使える例文
入学式の挨拶で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり——福沢はこの続きで、それでも差がつくのは学ぶか学ばないかだと書いています」と述べ、三年間の過ごし方の話につないだ。
深掘りに備える — 由来
福沢諭吉が明治5年(1872年)に刊行した『学問のすゝめ』初編の冒頭にある一文で、原文は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」。見落とされやすいのは文末の「と云へり」=「と言われている」という伝聞の形で、福沢はこれを自分の主張としてではなく、広く言われている前提として引いている。
聞かれたら: 「福沢諭吉『学問のすゝめ』初編に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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福沢諭吉が明治5年(1872年)に刊行した『学問のすゝめ』初編の冒頭にある一文で、原文は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」。見落とされやすいのは文末の「と云へり」=「と言われている」という伝聞の形で、福沢はこれを自分の主張としてではなく、広く言われている前提として引いている。この一節はアメリカ独立宣言の「すべての人は平等に造られている」を踏まえたものだとする見方が多くの解説で示されているが、福沢自身が引用元を明示した記述は確認できないため、ここでは断定しない。福沢の議論の本体は直後に来る。現実には賢い人と愚かな人、富む人と貧しい人、身分の高い人と低い人の差があるが、それは「天より定たる約束にあらず」——生まれつき決まっていたのではなく、学ぶと学ばざるとによって生じたのだ、と続く。だからこそ学問を勧める、というのが初編の筋書きである。
似た語と間違えない
「一視同仁」がすべての人を差別なく等しく扱うという態度そのものを指すのに対し、この一節は態度の表明ではなく、福沢が議論を始めるために置いた前提である。平等を訴える主張として使うと、原文が担っている役割とはずれる。
こんなシーンで使う
卒業式・入学式・就任の挨拶など、これから同じ場に立つ人たちに向けて話す場面で引かれることが多い。ただし聞き手の多くはこの一節を「人は平等」という標語として覚えているため、そこで止めると『学問のすゝめ』を読んでいないことがそのまま伝わってしまう。「と言えり」の後に何が書かれているか——差は学ぶか学ばないかで生じる——まで続けられると、聞き手には「文献に当たったうえで話している人」と映る。面接で座右の銘として挙げる場合も同じで、深掘りされたときに原文の論旨を返せるかどうかが分かれ目になる。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えりの類義語は?
- 一視同仁
- 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えりはどんな場面で使いますか?
- スピーチで使うとき
- 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えりの由来は?
- 福沢諭吉が明治5年(1872年)に刊行した『学問のすゝめ』初編の冒頭にある一文で、原文は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」。見落とされやすいのは文末の「と云へり」=「と言われている」という伝聞の形で、福沢はこれを自分の主張としてではなく、広く言われている前提として引いている。