過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
度が過ぎるのは、足りないのと同じようによくない。不十分も困るが、過剰にも弊害があり、ほどよさが大切だという意味。
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そのまま使える例文
部活の目標宣言で「練習量を増やすだけでなく、休養の計画も立てます。過ぎたるは猶及ばざるが如し、と先輩に教わったからです」と述べた。
深掘りに備える — 由来
『論語』先進篇に由来する孔子の言葉。弟子の子貢が、先輩弟子の子張(師)と子夏(商)のどちらが優れているかと尋ねた。
聞かれたら: 「『論語』先進篇「子貢問、師與商也孰賢に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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『論語』先進篇に由来する孔子の言葉。弟子の子貢が、先輩弟子の子張(師)と子夏(商)のどちらが優れているかと尋ねた。孔子は「師や過ぎ、商や及ばず」、つまり子張は行き過ぎ、子夏は届かないと評した。子貢が「では子張のほうが優れているのですか」と重ねると、孔子は「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」と答えた。原文(維基文庫)は「過猶不及」の四字である。日本語の用例は、日本国語大辞典が1428年の『拾玉得花』を初出として挙げる。『論語』の章句としては中庸のすすめと解されるが、故事成語を知る辞典は、故事成語としては行き過ぎを戒める意で使われるのがふつうと述べる。同辞典は、才知にあふれた子貢自身への戒めだったのかもしれない、という見方も添える。これは一つの解説者の推測で、定説ではない。日本語の文章では福沢諭吉『学問のすゝめ』が、食物は身体を養うためのものだが過食すれば栄養を害する、という例でこの句を引いている(ことわざを知る辞典)。
似た語と間違えない
「念の過ぐるは無念」はことわざを知る辞典がこの句を類句に挙げる語で、念を入れすぎてかえって抜かりが出る、という注意深さの行き過ぎに限った言い方である。この句は注意に限らず、量・熱意・厳しさなど何についても使え、守備範囲が広い。英語の対応句としては「何事にも節度を」を意味する Moderation in all things が辞典に挙がる。『論語』では子張と子夏の比較から出た中庸の教えだが、現代語の用法は「やりすぎるな」という戒めの側に重心が移っている。
こんなシーンで使う
頑張りすぎや凝りすぎを自覚して直した経験を語るとき、聞き手には自分を客観視できる人として映る。ただし「ほどほどでよい」と受け取られると、意欲の低さと誤解されやすい。努力を否定する句ではなく、量や熱意の向け先を調整する句だと、実例で補いたい。他人に向けて言うと、相手の熱心さを咎める口調になるので、自分の経験として話すのが無難。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 過ぎたるは猶及ばざるが如しの類義語は?
- 念の過ぐるは無念
- 過ぎたるは猶及ばざるが如しはどんな場面で使いますか?
- スピーチで使うとき
- 過ぎたるは猶及ばざるが如しの由来は?
- 『論語』先進篇に由来する孔子の言葉。弟子の子貢が、先輩弟子の子張(師)と子夏(商)のどちらが優れているかと尋ねた。