精神一到(せいしんいっとう)
心を一つのことに集中させれば、どんな困難も成し遂げられるという考え方を表す言葉。「精神一到何事か成らざらん」という形でよく使われる。
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そのまま使える例文
面接で「座右の銘は『精神一到』です。一つに絞って取り組めば形になる、と実感してきました」と答えた。
深掘りに備える — 由来
中国・南宋の儒学者である朱熹の言行録『朱子語類』の「学二」にある「陽気発処、金石亦透、精神一到、何事不成」に由来する。陽の気が発するところでは金や石のような硬いものさえ貫き通す、精神を一点に集中させて事に当たれば成らないことはない、という趣旨の一節である。
聞かれたら: 「『朱子語類』学二「陽気発処、金石亦透、精神一到、…に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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中国・南宋の儒学者である朱熹の言行録『朱子語類』の「学二」にある「陽気発処、金石亦透、精神一到、何事不成」に由来する。陽の気が発するところでは金や石のような硬いものさえ貫き通す、精神を一点に集中させて事に当たれば成らないことはない、という趣旨の一節である。日本ではこの後半を読み下した「精神一到何事か成らざらん」の形で広く知られており、『日本国語大辞典』もこの句の出典として『朱子語類』を挙げている。四字の「精神一到」だけを切り出して座右の銘に掲げる用法は、この長い成句が縮まったものである。
似た語と間違えない
「一意専心」が意志を一点にまとめる理性的な集中を指すのに対し、「精神一到」は集中しさえすれば成るという結果への確信まで含む。「一心不乱」は我を忘れるほどの没入で、静かにのめり込む様子に重心がある。「意志堅固」は集中よりも意志が揺るがないことを指す。
対義語: 意馬心猿、注意散漫
こんなシーンで使う
面接やESで、一つのことに絞って深く取り組んだ経験を語る場面に向く。聞き手には「注意が散らない人」という印象が残りやすい。ただし出典の一節は「集中すれば成らぬことはない」と言い切る強い言葉であり、うまくいかなかった経験の説明に添えると言葉と話が食い違う。成果まで出た一点集中の話に向いており、複数のことを並行してこなした話には合わない。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 精神一到の類義語は?
- 一意専心、一心不乱、意志堅固
- 精神一到はどんな場面で使いますか?
- 面接で聞かれたとき、ESに書くとき
- 精神一到の由来は?
- 中国・南宋の儒学者である朱熹の言行録『朱子語類』の「学二」にある「陽気発処、金石亦透、精神一到、何事不成」に由来する。陽の気が発するところでは金や石のような硬いものさえ貫き通す、精神を一点に集中させて事に当たれば成らないことはない、という趣旨の一節である。