座右の銘

人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)

人生の幸不幸は前もって見通せず、不運に見えたことが幸運のもとになり、幸運に見えたことが不運のもとになることもある。だから目先の出来事に一喜一憂するな、というたとえ。

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この語を使ってよい場面◎最適 ○使える △注意
○スピーチ逆境を越えた経験を振り返る挨拶で、故事の筋を添えると伝わる
△面接努力の話を伴わないと、結果を運に任せる姿勢に聞こえる
注意: 原文の老人は「福にならないとは限らない」と問い返すだけで、先を言い当てたわけではない。努力の話を添えないと運任せに聞こえる。

そのまま使える例文

スピーチ

異動の内示で一度は落ち込んだが、その部署で今の師匠に出会った。人間万事塞翁が馬だと、新年度の挨拶で話した。

面接面接で「第一志望の不合格は人間万事塞翁が馬と思えるまで半年かかりました。その間に独学で始めた分析が、今の卒業研究の入口です」と答えた。
不採用の連絡に肩を落とす友人に、塞翁が馬というから、結果の良し悪しを決めるのは半年先にしよう、と声をかけた。
スポーツ書き初めで「塞翁が馬」と書き、故障で出られなかった去年の大会のことを思い返した。

深掘りに備える — 由来

出典: 『淮南子』人間訓「近塞上之人有善術者、馬無故亡而…

『淮南子』人間訓の話に由来する。国境の塞(とりで)の近くに、術に長けた老人がいた。

聞かれたら: 「『淮南子』人間訓「近塞上之人有善術者、馬無故亡而…に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。

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『淮南子』人間訓の話に由来する。国境の塞(とりで)の近くに、術に長けた老人がいた。その馬が理由なく逃げて胡の地に入り、人々が気の毒がると、老人は「どうしてこれが福にならないと言えようか」と答えた。数か月後、馬は胡の駿馬を連れて帰り、人々が祝うと、今度は「どうして禍にならないと言えようか」と答える。やがて馬好きの息子が落馬して太ももの骨を折り、人々がまた見舞うと、老人は同じ言葉を繰り返した。一年後に胡人が大挙して塞に攻め入り、働き盛りの男は戦って、塞の近くの者は十人中九人が死んだが、この息子だけは足が不自由なために父子とも無事だった。原文(維基文庫)の結びは「福の禍となり、禍の福となる、化は極むべからず」。なお原文の老人が言うのは「福にならないとは限らない」という反語で、辞典が書くような「これは幸運の印」という断定ではない。読みは、故事成語を知る辞典が「人間」を「じんかん」(世の中)と読む解釈も紹介している。日本国語大辞典は室町末の謡曲『綾鼓』の用例を挙げる。

似た語と間違えない

人間万事塞翁が馬人生の幸不幸は前もって見通せず、不運に見えたことが幸運のもとになり、幸運に見えたことが不運のもとになることもある。
禍福は糾える縄の如し

「禍福は糾える縄の如し」が禍福が縄の目のように交互に来る様子を描くのに対し、この語は老人が吉凶の判断を保留し続ける態度に重心がある。また、馬が逃げる、戻る、息子が落ちる、助かるという起承転結の筋を持つので、深掘りされても三段の展開をそのまま話せば答えになる。座右の銘として掲げるなら、悪い出来事の中に好転の芽を探す姿勢を表す言葉として、自分の経験に結びつけると説得力が出る。

こんなシーンで使う

逆境や転機を乗り越えた経験を振り返る挨拶で、聴衆には落ち着いた人の言葉として届く。ただし順調な最中の人が言うと達観を気取って聞こえ、面接で努力の話なしに掲げると、結果を運に委ねる人に見えかねない。転機のあとに自分が何をしたかを必ず続けたい。他人の不運に向けて「塞翁が馬だよ」と言うと、悩みを軽く扱った響きになるので、慰めは相手が落ち着いてからにする。

以下のテーマ・シーンでよく使われます。

よくある質問

人間万事塞翁が馬の類義語は?
禍福は糾える縄の如し
人間万事塞翁が馬はどんな場面で使いますか?
スピーチで使うとき
人間万事塞翁が馬の由来は?
『淮南子』人間訓の話に由来する。国境の塞(とりで)の近くに、術に長けた老人がいた。
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