座右の銘

桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)

桃や栗は芽が出てから実がなるまで三年、柿は八年かかるように、何事も成果が出るまでにはそれ相応の時間が必要だということわざ。

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この語を使ってよい場面◎最適 ○使える △注意
△面接自分の現状に当てると「まだ成果が出ていない」の言い換えに聞こえる。見通しを語る文脈なら使える
注意: 自分の現状に当てて使うと「まだ成果が出ていない」の言い換えに聞こえる。時間の見積もりを語る文脈で使いたい。

そのまま使える例文

スピーチ

入社式の挨拶で「桃栗三年柿八年と言います。三年目に何ができるようになっていたいかを、今日から考えてください」と述べた。

年度初めの部会で「桃栗三年柿八年です。この事業の実りは三年先と見て、今年は土台づくりの年にします」と宣言した。
面接面接で「桃栗三年柿八年で、成果が出るまでの時間を見積もってから動くようにしています」と答えた。
新規事業は桃栗三年柿八年で、初年度の数字だけを見て打ち切るのは早い。
桃栗三年柿八年というが、この技術をひととおり使えるようになるまでに十年かかった。

深掘りに備える — 由来

出典は特定されていない正直に言えるのが強み

出典は特定されていない。特定の人物の言葉や漢籍の故事に紐づく記録は確認できず、果樹が実をつけるまでの年数を言い習わした表現と考えられる。

聞かれたら: 「出典は特定されていない。」と正直に答えるのが最も強い。

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出典は特定されていない。特定の人物の言葉や漢籍の故事に紐づく記録は確認できず、果樹が実をつけるまでの年数を言い習わした表現と考えられる。精選版日本国語大辞典は、江戸前期の評判記『役者評判蚰蜒』(1674年)の「桃栗三年柿八年人の命は五十年夢の浮世にささのであそべ」を用例に挙げる。天明六年(1786年)序の『譬喩尽』には「桃栗三年柿八年、枇杷は九年でなり兼ねる、梅は酸い酸い十三年」と後続の句を伴う形で載り、十八世紀にはことわざとして定着していたことが分かる。後続の句は「梅は酸いとて十三年」「柚子は九年の花盛り」「柚子の大馬鹿十八年」など地域や時代によって多様で、どれが本来の形かを決められる資料はない。国立国会図書館のレファレンス協同データベースの回答事例は、遅い果樹を「馬鹿」と呼ぶ句に、待ちこがれる気持ちと罵りと励ましが込められていると説明する。尾張いろはかるたに採られたことから、これを由来とする紹介も見られるが、それより古い用例があるため、かるたが初出とは言えない。

似た語と間違えない

桃栗三年柿八年桃や栗は芽が出てから実がなるまで三年、柿は八年かかるように、何事も成果が出るまでにはそれ相応の時間が必要だということわざ。
石の上にも三年冷たい石の上でも三年座り続ければ温まるように、つらく苦しい状況でも辛抱強く努力や我慢を続ければ、いずれ必ず良い結果や報いが得られ…
継続は力なり一つのことを途中で投げ出さず、地道にコツコツと続けていくことこそが、やがて大きな成果や実力へとつながっていくという意味。
待てば海路の日和あり

「石の上にも三年」が耐える側の忍耐に重心を置くのに対し、「桃栗三年柿八年」は実るまでの年数が対象によって違うという、時間の見積もりそのものを述べている。「継続は力なり」は続けることで力がつくという努力の側の言葉で、年数の含みは持たない。「待てば海路の日和あり」はよい機会が巡ってくるのを待つ言い方で、この語のように見込みの年数を示す含みはない。

こんなシーンで使う

成果が出るまでにかかる時間を見込む場面で使う。就任や年度初めの挨拶で使うと、聞き手には「短期の数字だけで人を評価しない」という姿勢が伝わりやすい。一方、面接で自分の現状に当てて使うと「まだ実っていない」という自己申告に聞こえかねないため、これから取り組むことの見通しを語る文脈に限るのが安全。後輩や部下に向けて言う場合は待つ側の余裕を示す言葉になり、当人を急かす意味には取られにくい。続きの句を添えるときは注意がいる。「柚子の大馬鹿十八年」のように遅いものを罵る調子の句もあり、成果の出ていない相手の前で引くと当てこすりに聞こえるおそれがある。

以下のテーマ・シーンでよく使われます。

よくある質問

桃栗三年柿八年の類義語は?
石の上にも三年、継続は力なり、待てば海路の日和あり
桃栗三年柿八年はどんな場面で使いますか?
面接で聞かれたとき
桃栗三年柿八年の由来は?
出典は特定されていない。特定の人物の言葉や漢籍の故事に紐づく記録は確認できず、果樹が実をつけるまでの年数を言い習わした表現と考えられる。
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