桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
桃や栗は芽が出てから実がなるまで三年、柿は八年かかるように、何事も成果が出るまでにはそれ相応の時間が必要だということわざ。
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そのまま使える例文
入社式の挨拶で「桃栗三年柿八年と言います。三年目に何ができるようになっていたいかを、今日から考えてください」と述べた。
深掘りに備える — 由来
出典は特定されていない。特定の人物の言葉や漢籍の故事に紐づく記録は確認できず、果樹の栽培経験から生まれ、口承で広まった言い回しと考えられる。
聞かれたら: 「出典は特定されていない。」と正直に答えるのが最も強い。
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出典は特定されていない。特定の人物の言葉や漢籍の故事に紐づく記録は確認できず、果樹の栽培経験から生まれ、口承で広まった言い回しと考えられる。古い用例としては、江戸前期の評判記『役者評判蚰蜒』(1674年)に「桃栗三年柿八年人の命は五十年夢の浮世にささのであそべ」という歌謡の形で見え、天明六年(1786年)序の『譬喩尽』には「桃栗三年柿八年、枇杷は九年でなり兼ねる、梅は酸い酸い十三年」と後続の句を伴う形で載る。十八世紀にはことわざとして定着していたことが用例から分かる。後続の句は「柚子は大馬鹿十八年」など地域や時代によって多様で、どれが本来の形かを決められる資料はない。
似た語と間違えない
「石の上にも三年」が耐える側の忍耐に重心を置くのに対し、「桃栗三年柿八年」は実るまでの年数が対象によって違うという、時間の見積もりそのものを述べている。「大器晩成」が人物の器の大きさを遅れの理由に置くのに対し、この語は理由を問わず「かかるものはかかる」と言うだけで、相手を持ち上げる含みは薄い。
対義語: 一朝一夕
こんなシーンで使う
成果が出るまでにかかる時間を見込む場面で使う。就任や年度初めの挨拶で使うと、聞き手には「短期の数字だけで人を評価しない」という姿勢が伝わりやすい。一方、面接で自分の現状に当てて使うと「まだ実っていない」という自己申告に聞こえかねないため、これから取り組むことの見通しを語る文脈に限るのが安全。後輩や部下に向けて言う場合は待つ側の余裕を示す言葉になり、当人を急かす意味には取られにくい。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 桃栗三年柿八年の類義語は?
- 石の上にも三年、大器晩成、果報は寝て待て
- 桃栗三年柿八年はどんな場面で使いますか?
- 面接で聞かれたとき
- 桃栗三年柿八年の由来は?
- 出典は特定されていない。特定の人物の言葉や漢籍の故事に紐づく記録は確認できず、果樹の栽培経験から生まれ、口承で広まった言い回しと考えられる。