明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。(あしたしぬかのようにいきよ。えいえんにいきるかのようにまなべ。)
限られた時間だからこそ今日を精一杯生き、学びのほうは終わりのないものとして続けよ、という二つの構えを一文に収めた言葉。マハトマ・ガンディーの言葉として広く知られるが、本人が語ったという確認は取れていない。
最終更新日:
そのまま使える例文
入社式の挨拶で「明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ。ガンディーの言葉として伝えられているこの一文を、今日から二つの物差しにします」と述べた。
深掘りに備える — 由来
この一文の出典は特定されていない。ガンディーに帰す形で世界中に流布しているが、本人の著作・書簡・演説に逐語で見つかるという確認は取れていない。
聞かれたら: 「この一文の出典は特定されていない。」と正直に答えるのが最も強い。
由来の全文を読む
この一文の出典は特定されていない。ガンディーに帰す形で世界中に流布しているが、本人の著作・書簡・演説に逐語で見つかるという確認は取れていない。英語圏のファクトチェック記事(Gizmodo / Paleofuture「7 Gandhi Quotes That Are Totally Fake」2015年)は、同趣旨の一文が1867年の印刷物にすでに現れていると指摘している。ガンディーの生年は1869年であり、これが正しければ初出は本人の誕生より前ということになる。19世紀後半の出版物では、1240年に没したカトリックの聖人エドマンド・リッチや、アラン・ド・リール(アラヌス・デ・インスリス)に帰す記述が見られ、さらにさかのぼってセビリアのイシドールス(560年頃〜636年)の『語源』にある格言だとする説も流布しているが、いずれも一次資料での確認は取れていない。一方で、ガンディーとの結びつきが完全な誤りとも言い切れない。孫のラージモーハン・ガンディーは伝記『The Good Boatman』(1995年)で、祖父が「人は明日死ぬかもしれないと思って生き、永遠に生きるかのように学ぶべきだ」という考え方を採っていたと書いている。思想としてガンディーに重なることは伝記に基づいて言えるが、この一文を本人が語ったとは言えない、というのが現在確認できる範囲である。人前で引くなら「ガンディーの言葉として伝えられている」と置いておくと、後から出典を問われたときに崩れない。
似た語と間違えない
「一期一会」が一回の出会いという場面の側から今を尊べと説くのに対し、この言葉は自分に残された時間の側から今日を区切る。「初心忘るべからず」が過去の未熟だった自分を参照点にするのに対し、こちらは終わりのない未来を参照点にして学び続けよと言う。対義に挙げた「明日は明日の風が吹く」は先を思い煩わないという楽観の構えで、明日が無いかもしれないという切迫から出発するこの言葉とは向きが逆になる。
対義語: 明日は明日の風が吹く、その日暮らし
こんなシーンで使う
就任・入社・卒業・退職など、これからの姿勢を宣言する挨拶に向く。「今日を全力で」と「学びは一生」という向きの違う二つの構えを一文で示せるため、聴衆には行動と勉強のどちらか一方に偏らない人と映りやすい。ただし逐語の出典が確認できていない言葉なので、「ガンディーはこう言いました」と断定すると、後から出典を問われたときに支えられない。「〜の言葉として伝えられている」と置くこと。また、闘病中の人や近しい人を亡くしたばかりの人がいる場では「明日死ぬ」の字面がそのまま刺さるため、この語は避けたほうがよい。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。の類義語は?
- 一期一会、初心忘るべからず、一日一生、六十の手習い
- 明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。はどんな場面で使いますか?
- スピーチで使うとき
- 明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。の由来は?
- この一文の出典は特定されていない。ガンディーに帰す形で世界中に流布しているが、本人の著作・書簡・演説に逐語で見つかるという確認は取れていない。