恕(じょ)
相手の立場に自分を置き換えて考え、自分がされて嫌なことは人にもしない、という思いやりの姿勢を表す一文字。『論語』で孔子が、生涯にわたって行い続けられる一語として挙げた字である。
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そのまま使える例文
就任の挨拶で「『恕』の一字を掲げます。判断に迷ったら、自分がされて嫌なことはしない、を基準にします」と述べた。
深掘りに備える — 由来
『論語』に由来する。衛霊公篇に、弟子の子貢が「一言にして以て終身之を行うべき者有りや」(生涯にわたって行い続けられる一語はありますか)と問い、孔子が「其れ恕か。
聞かれたら: 「『論語』衛霊公篇「子貢問曰、有一言而可以終身行之…に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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『論語』に由来する。衛霊公篇に、弟子の子貢が「一言にして以て終身之を行うべき者有りや」(生涯にわたって行い続けられる一語はありますか)と問い、孔子が「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ」(其恕乎。己所不欲、勿施於人)と答えた一節がある。生涯を貫く一語として名指しされた字であり、一文字の座右の銘としては珍しく出典がはっきりしている。なお、この章は版によって衛霊公篇の23章とも24章とも数えられる。同じ『論語』里仁篇では、曾子が孔子の教えを「夫子の道は忠恕のみ」(夫子之道、忠恕而已矣)とまとめており、「忠」(自分に偽らないこと)と対にして語られる。「己所不欲、勿施於人」の句自体は顔淵篇にも重ねて出てくる。字としては『説文解字』が「恕」を「仁なり」と釈し、心を意味符、如を音符とする形声字と説明する。「如」は「〜のごとし」で、相手の身になって考えるという語義と字形が重なっている。
似た語と間違えない
「愛」が対象を慈しむ気持ちそのものを指すのに対し、「恕」は自分がされて嫌なことを相手にもしない、という判断の手順に重心がある。感情ではなく基準を示す字である。『論語』では「忠」と対に置かれ、忠が自分に偽らないことを、恕が相手に置き換えて考えることを受け持つ。日本語で「ゆるす」と読む字には「赦」もあるが、こちらは罪や過ちを免じる側の語で、「恕」の中心にある「相手の身になる」という含みはない。
対義語: 独善、狭量
こんなシーンで使う
スピーチや式辞で、判断の基準を一語で示したい場面に向く。孔子が生涯貫ける一語として挙げた字なので、由来を一言添えるだけで重みが伝わり、聴衆には「決める前に相手の事情を聞く人」と映る。ただし「恕」は日常では「寛恕」「宥恕」くらいでしか見ない字で、読めない人が多い。人前で使うなら「じょ、と読みます」と先に添えたい。また「許す」の側だけを取ると、甘い・見過ごす人と受け取られる。この字が『論語』で示されたのは「自分がされて嫌なことをしない」という自分の側の抑制であって、相手の非を不問にすることではない。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 恕の類義語は?
- 愛、思いやり、寛容
- 恕はどんな場面で使いますか?
- スピーチで使うとき
- 恕の由来は?
- 『論語』に由来する。衛霊公篇に、弟子の子貢が「一言にして以て終身之を行うべき者有りや」(生涯にわたって行い続けられる一語はありますか)と問い、孔子が「其れ恕か。