四字熟語

竜頭蛇尾りゅうとうだび

龍の頭のように勢いよく始まったものが、蛇の尾のように尻すぼみに終わってしまうこと。

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この語を使ってよい場面◎最適 ○使える △注意
面接反省と、その後に何を変えたかをセットにしないと投げ出す人に見える
部活昨年の総括として使い、今年どこを変えるかを続けると宣言が締まる
注意: 出だしが立派だったという対比が前提。進行中の物事に使うと結末を決めつけることになる。

そのまま使える例文

決起集会で「掛け声だけの竜頭蛇尾にしないために、最初の一か月の数字を毎週共有します」と宣言した。

部活部活の目標発表で「去年は竜頭蛇尾で終わった。今年は最後の大会まで同じ強度でいく」と述べた。
派手に始まった改革は、半年後には予算も人も削られ、竜頭蛇尾に終わった。
スポーツ前半は圧倒していたのに、後半は防戦一方で竜頭蛇尾の試合だった。

深掘りに備える — 由来

出典: 『碧巌録』第一〇則

出典は南宋の禅書『碧巌録』の第一〇則。雪竇重顕が選んだ公案に圜悟克勤が評唱を付した書で、この則は唐代の禅僧・睦州道明——陳尊宿とも呼ばれる——と、訪ねてきた僧との問答を扱う。

聞かれたら: 「『碧巌録』第一〇則に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。

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出典は南宋の禅書『碧巌録』の第一〇則。雪竇重顕が選んだ公案に圜悟克勤が評唱を付した書で、この則は唐代の禅僧・睦州道明——陳尊宿とも呼ばれる——と、訪ねてきた僧との問答を扱う。睦州が「近ごろどこから来たか」と問うと、僧はいきなり「喝!」と一喝で応じた。睦州が「老僧、汝の一喝を受けた」と言うと僧はまた喝する。「三喝四喝ののちはどうする」と重ねて問われたところで、僧は何も言えなくなった。睦州はすかさず打ちすえ、「この掠虚頭の漢(見せかけだけの男)」と言い放つ。この僧の出方を評したのが「只だ恐らくは竜頭蛇尾ならん」——頭は竜のようだが尾は蛇だろう、という一句である。禅問答の出だしの勢いだけが立派で中身が続かない者への評が、そのまま尻すぼみのたとえとして日本語に入った。日本語の用例は近代に目立ち、四字熟語を知る辞典は福田英子『妾の半生涯』(一九〇四年)と、森鷗外『独身』(一九一〇年)の「もうおしまいか。竜頭蛇尾だね」を挙げる。

似た語と間違えない

竜頭蛇尾龍の頭のように勢いよく始まったものが、蛇の尾のように尻すぼみに終わってしまうこと。
尻切れとんぼ
三日坊主

「尻切れとんぼ」が途中で終わってしまったこと自体を指すのに対し、「竜頭蛇尾」は出だしが立派だったという対比を必ず含む。だから始まりが平凡なまま終わったものは竜頭蛇尾とは言わない。「三日坊主」は続かない人の性向を言う語で、一つの企画や試合の経過そのものには使いにくい。

対義語: 有終の美、初志貫徹、徹頭徹尾

こんなシーンで使う

始まりの勢いに対して終わりが伴わなかったことを評する語で、聞き手には「結果が出ないまま立ち消えた」という判定として届く。他人の企画や試合に向けて使うと批評の色が濃くなるが、自分たちの過去を振り返って「昨年は竜頭蛇尾だった」と言い、今年どこを変えるかを続けると、宣言のほうが引き立つ。面接で自分の経験に使うなら、竜頭蛇尾で終わった反省と、その後に何を変えたかをセットにしないと、途中で投げ出す人という印象だけが残る。進行中の物事に使うと結末を決めつけることになるので、終わったことに対して使う語である。

以下のテーマ・シーンでよく使われます。

よくある質問

竜頭蛇尾の類義語は?
尻切れとんぼ、三日坊主
竜頭蛇尾の由来は?
出典は南宋の禅書『碧巌録』の第一〇則。雪竇重顕が選んだ公案に圜悟克勤が評唱を付した書で、この則は唐代の禅僧・睦州道明——陳尊宿とも呼ばれる——と、訪ねてきた僧との問答を扱う。
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