夢幻泡影(むげんほうよう)
夢や幻、泡や影のようにすぐ消えてしまう、人生のはかなさのたとえ。もとは仏教語で、この世のものに実体がないことをいう。
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そのまま使える例文
法話で住職は「積み上げたものも夢幻泡影だと知れば、いま手元にある時間の値打ちが見えてくる」と話した。
深掘りに備える — 由来
出典は『金剛般若経』(鳩摩羅什訳)。経の末尾に置かれた四句の偈「一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観」(一切の有為の法は夢・幻・泡・影の如く、露の如く亦た電の如し、まさにかくの如き観を作すべし)に基づく(精選版日本国語大辞典・四字熟語辞典オンライン・イミダスがいずれも同経を出典とする。
聞かれたら: 「『金剛般若経』に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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出典は『金剛般若経』(鳩摩羅什訳)。経の末尾に置かれた四句の偈「一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観」(一切の有為の法は夢・幻・泡・影の如く、露の如く亦た電の如し、まさにかくの如き観を作すべし)に基づく(精選版日本国語大辞典・四字熟語辞典オンライン・イミダスがいずれも同経を出典とする。ただし精選版日本国語大辞典は訳者を菩提流支と記す。菩提流支訳の対応する偈は「如星翳燈幻露泡夢電雲」と九つのたとえを並べる形で、「夢幻泡影」の四字が続く字句は鳩摩羅什訳のものである)。因縁によって生じたものはすべて実体がなく空である、という教えを、夢・幻・泡・影・露・電という六つのはかないものに並べて説いた句で、四字熟語はこのうち前の四つを取り出した形である。日本語の用例は、五字の「如夢幻泡影」の形が仏教説話集『宝物集』(一一七九年頃)に経文の引用として見え、四字の「夢幻泡影」としては曹洞宗の禅僧大智の『大智仮名法語』(一三六六年頃)の「夢幻泡影よりなほあだなる一生の身をすてずして」が最も古い書証(いずれも精選版日本国語大辞典)。「影」を「よう」と読むのは呉音である(四字熟語を知る辞典)。台湾教育部の『重編国語辞典修訂本』も同じ経文を出典に掲げ、中国語でも通じる語である。
似た語と間違えない
辞典が類義語として挙げるのは「泡沫夢幻」(四字熟語辞典オンライン・イミダス)。書証は幸田露伴『風流仏』(1889)が最古で(精選版日本国語大辞典)、明治以降の語である。意味はほぼ重なるが、経典の句そのままという裏づけがあり由来を一言添えて使えるのは「夢幻泡影」のほう。デジタル大辞泉の類語欄は「邯鄲の枕」「人生朝露の如し」「蜉蝣の命」などを並べる。「邯鄲の枕」や同じ故事による「邯鄲之夢」「一炊之夢」は立身出世や富貴といった栄達の空しさに的を絞った語で、四字熟語辞典オンラインはこれらと「夢幻泡影」を互いの類義語には立てていない。同じ仏教語の「有為転変」を類義語に結ぶ辞典も見当たらない。
こんなシーンで使う
仏教の教えを背景に、この世のものに実体がないことを述べる語で、聞き手には執着を解くという含みで届く。法話や退任の挨拶、答辞で自分の来歴や肩書きに向けて使えば落ち着いた印象になるが、他人の努力や成果を指して言えば、それを無意味だと断じる言葉になる。面接で座右の銘に挙げると意欲そのものの否定に聞こえやすく、使うなら「夢幻泡影と知るからこそ、目の前のことに手を抜かない」と裏返す形にすると深掘りに耐える。弔いの場では無常を説く語として通るが、遺族に向けて直接言えば突き放したように響く。読みは「むげんほうよう」で、「ほうえい」ではない。口頭では聞き慣れない人も多いので、スピーチでは「夢、幻、泡、影」と四つを言い添えると一度で伝わる。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 夢幻泡影の類義語は?
- 泡沫夢幻
- 夢幻泡影の由来は?
- 出典は『金剛般若経』(鳩摩羅什訳)。経の末尾に置かれた四句の偈「一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観」(一切の有為の法は夢・幻・泡・影の如く、露の如く亦た電の如し、まさにかくの如き観を作すべし)に基づく(精選版日本国語大辞典・四字熟語辞典オンライン・イミダスがいずれも同経を出典とする。