四字熟語

邯鄲之夢かんたんのゆめ

うたた寝の間に見た栄華の夢が覚めてみればわずかな時間だったという故事のように、人の世の栄華がはかないことのたとえ。

最終更新日:

この語を使ってよい場面◎最適 ○使える △注意
スピーチ自分たちへの戒めとして使うと引き締まる。他人の成功には使わない
面接座右の銘に挙げるなら、栄達に溺れない戒めという読み方を説明できることが前提
注意: 他人の成功を指して使うと、その成功を空しいと断じる皮肉になる。

そのまま使える例文

スピーチ

創業二十周年の挨拶で社長が「上場の熱狂を邯鄲之夢に終わらせないために、足元の仕事に立ち返ろう」と社員に語った。

講演で「肩書きは邯鄲之夢のようなもので、退いた翌日には誰も覚えていない」と自戒を込めて話した。
好景気の時代の栄華を、今となっては邯鄲之夢だったと振り返る人は少なくない。
一夜で得た人気を邯鄲之夢に終わらせまいと、彼はすぐに次の作品に取りかかった。

深掘りに備える — 由来

出典: 『枕中記』

唐代の伝奇小説『枕中記』の故事に基づく。作者は沈既済とするのが通説で、八世紀後半ごろの作とされる(精選版日本国語大辞典は、李泌の撰と題する本もあることを付記している)。

聞かれたら: 「『枕中記』に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。

由来の全文を読む

唐代の伝奇小説『枕中記』の故事に基づく。作者は沈既済とするのが通説で、八世紀後半ごろの作とされる(精選版日本国語大辞典は、李泌の撰と題する本もあることを付記している)。筋はおおよそ次のとおり。趙の都であった邯鄲の宿で、科挙に及第できず不遇を嘆く青年・盧生が、道士の呂翁から枕を借りて眠る。夢の中で盧生は立身出世して宰相にまで上り、浮き沈みを経ながら栄華を極めた五十余年を過ごす。ところが目覚めてみると、眠る前に宿の主人が炊いていた黄粱の飯がまだ炊き上がっていなかった。盧生はこれによって栄達を求める心のはかなさを悟る。同じ故事から「邯鄲の枕」「一炊の夢」「盧生の夢」とも言う。日本では『太平記』に「邯鄲午炊の夢」の形で引かれ、謡曲『邯鄲』の原拠となったほか(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)、芥川龍之介の短編『黄粱夢』もこの話を典拠とする(世界大百科事典)。「邯鄲之夢」はこの故事名を漢文風に四字で書いた形で、国語辞典の見出しは「邯鄲の夢」「邯鄲の枕」が一般的である。

似た語と間違えない

邯鄲之夢うたた寝の間に見た栄華の夢が覚めてみればわずかな時間だったという故事のように、人の世の栄華がはかないことのたとえ。
一炊之夢飯を一炊きする間に見た栄華の夢のように、人の世の栄光や富貴がはかなく短いことのたとえ。
邯鄲の枕
南柯の夢
夢幻泡影夢や幻、泡や影のようにすぐ消えてしまう、人生のはかなさのたとえ。

「一炊之夢」は同じ『枕中記』の故事から出た語で意味も同じだが、飯が炊き上がるまでという夢の短さに焦点があり、邯鄲之夢は舞台となった地名で故事全体を指す。「夢幻泡影」が仏教の立場からこの世のものすべての実体のなさを説くのに対し、邯鄲之夢は立身出世や富貴といった栄達の空しさに的を絞った語である。

こんなシーンで使う

立身出世や富の空しさを戒める語で、聞き手には「栄えているときほど足元を見よ」という自戒や忠告として届く。創業記念や就任の挨拶で自分たちへの戒めとして使えば引き締まった印象になるが、他人の成功を指して「邯鄲之夢だ」と言うと、その成功を空しいと断じる皮肉になり、相手や周囲には嫌味に聞こえる。自分の経歴を振り返って使う場合も、聞き手によっては「これまでの仕事は無意味だった」という含みに受け取られるため、何を空しいと感じたのかを言い添えるほうが誤解がない。座右の銘に挙げるなら、栄達に溺れないための戒めという読み方を自分の言葉で説明できることが前提になる。

以下のテーマ・シーンでよく使われます。

よくある質問

邯鄲之夢の類義語は?
一炊之夢、邯鄲の枕、南柯の夢、夢幻泡影
邯鄲之夢の由来は?
唐代の伝奇小説『枕中記』の故事に基づく。作者は沈既済とするのが通説で、八世紀後半ごろの作とされる(精選版日本国語大辞典は、李泌の撰と題する本もあることを付記している)。
PR
言葉の本で理解を深めるなら
楽天ブックスで「四字熟語」の本を探す
見てみる