面壁九年(めんぺきくねん)
壁に向かって座禅を九年も続けたという故事のように、長い年月わき目もふらず一つのことに打ち込むこと。「面壁」は壁に向かって坐禅することを言う。
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そのまま使える例文
就任の挨拶で「面壁九年の覚悟で、この事業に腰を据えて取り組みます」と述べた。
深掘りに備える — 由来
禅宗の始祖とされる菩提達磨(ぼだいだるま)が、嵩山(すうざん)の少林寺で九年のあいだ壁に向かって坐禅を続け、悟りを開いたという故事に基づく。達磨はインドから6世紀初め頃に中国へ渡った僧と伝えられ、南インドの香至国の王子とする辞典もある。
聞かれたら: 「『景徳伝灯録』巻三に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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禅宗の始祖とされる菩提達磨(ぼだいだるま)が、嵩山(すうざん)の少林寺で九年のあいだ壁に向かって坐禅を続け、悟りを開いたという故事に基づく。達磨はインドから6世紀初め頃に中国へ渡った僧と伝えられ、南インドの香至国の王子とする辞典もある。梁の武帝と問答して意が通じず、北へ移って少林寺に入ったという話も、百科事典類が伝承として紹介している。この故事の典拠は辞典によって分かれ、四字熟語辞典の多くは宋代の禅の灯史『景徳伝灯録』巻三を挙げ、『精選版 日本国語大辞典』などは宋代の公案集『碧巌録』第一則の評唱を挙げる。もっとも、達磨の伝記は後世の禅宗のなかで潤色された部分が大きく、実在すら疑われているとする百科事典もあり、九年という年数を含めて史実として確かめられているわけではない。日本での使用は古く、同辞典は語順を入れ替えた「九年面壁」の用例として道元『正法眼蔵』弁道話(1231〜53年)の「嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ」を引き、「面壁九年」の形では歌舞伎『小春穏沖津白浪』(1864年)の「面壁九年の禅家の祖師達磨大師」を挙げている。両形は同じ意味で使われる。
似た語と間違えない
「一心不乱」が一つのことに没入している状態そのものを指すのに対し、「面壁九年」は同じ場所で同じことを続けた年月の長さに重心がある。「刻苦勉励」が苦労して励むことの一般的な形容であるのに比べ、こちらは成果が出るまで動かずに続けた姿を含意する。辞典が類義語として一致して挙げるのは語順違いの「九年面壁」で、一部の辞典は「石の上にも三年」も類義語に加えている。ただし「石の上にも三年」は辛抱すればいずれ報われるという見通しを語る言葉で、打ち込んだ年月の重みを表す面壁九年とは焦点が異なる。対義語を挙げている辞典は確認できなかった。
こんなシーンで使う
腰を据えて長期戦に臨む姿勢を示す場面に向く。就任の挨拶や事業の宣言で使うと、聞き手には「短期の成果を約束していない」という含みが伝わり、地道さの表明として受け取られる。長年続けてきた人を讃える場面でも、「面壁九年、粘り強かった」のように成果と結びつけて使える。一方で九年という具体的な年数が語に入っているため、数か月から一年程度の取り組みに使うと大げさに響く。禅の故事に由来し、達磨大師が壁に向かい続けた九年を指すことを一言添えられると、深掘りされたときの答えになる。読みは「めんぺきくねん」で、「九年」を「きゅうねん」と読むのは誤りとする辞典がある。人前で読み上げるときは特に注意したい。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 面壁九年の類義語は?
- 九年面壁
- 面壁九年の由来は?
- 禅宗の始祖とされる菩提達磨(ぼだいだるま)が、嵩山(すうざん)の少林寺で九年のあいだ壁に向かって坐禅を続け、悟りを開いたという故事に基づく。達磨はインドから6世紀初め頃に中国へ渡った僧と伝えられ、南インドの香至国の王子とする辞典もある。