明鏡止水(めいきょうしすい)
曇りのない鏡や静かに澄んだ水のように、邪念や迷いのない澄み切った心の状態を表す言葉。武道やスポーツの場面で、集中力を高めるための心構えとしてよく使われる。
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そのまま使える例文
大会前のミーティングで「明鏡止水の心で、いつもどおりやろう」と声をかけた。
深掘りに備える — 由来
出典は『荘子』の徳充符篇。ただし原典に「明鏡止水」という四字が並んで現れるわけではなく、同じ篇に出てくる二つの比喩が後世に組み合わされて成語になったとされる。
聞かれたら: 「『荘子』徳充符篇に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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出典は『荘子』の徳充符篇。ただし原典に「明鏡止水」という四字が並んで現れるわけではなく、同じ篇に出てくる二つの比喩が後世に組み合わされて成語になったとされる。「止水」は、足切りの刑を受けた王駘のもとに多くの門人が集まる理由を問われた孔子(仲尼)が答える一節「人は流水に鑑みること莫くして止水に鑑みる。唯だ止のみ能く衆止を止む」(人は流れる水ではなく静止した水に自分の姿を映す。静止しているものだけが、多くのものを静止させられる)に見える。「明鏡」は、同じ徳充符篇で申徒嘉という人物が鄭の宰相・子産に語る「鑑明らかなれば則ち塵垢止まらず、止まれば則ち明らかならざるなり」(鏡が曇りなく澄んでいれば塵や垢は付かない、付けば曇る)に基づく。どちらも、心を静かに澄ませておくことの働きを水と鏡にたとえた比喩であり、四字熟語としていつ定着したかを示す資料は確認できていない。
似た語と間違えない
「泰然自若」が何が起きても動じない外から見た態度に重心を置くのに対し、「明鏡止水」は本人の内側の澄み具合そのものを言う。「無念無想」は一切の想念を離れた状態を指し、明鏡止水よりも仏教・禅の修行の色が濃い。「虚心坦懐」は先入観を捨てて人の話を受け止める姿勢を指し、対人の場面で使われる点が違う。
対義語: 意馬心猿、疑心暗鬼
こんなシーンで使う
スポーツや武道で、本番前の心の持ちようを短く掲げる標語として収まりがよい。チームメイトや指導者には「気負わず平常心で臨む」という意図が一度で伝わる。一方でこの語が指すのは心の状態であって、努力の量や達成した結果ではない。面接やESで自分の強みを語る場面に持ち出すと、何をしたのかが伝わらないまま終わりやすい。また「何も考えない」ことではなく「邪念や迷いがない」ことなので、無心で突っ込む意味に取り違えて使うと本来の意味からずれる。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 明鏡止水の類義語は?
- 泰然自若、無念無想、虚心坦懐
- 明鏡止水の由来は?
- 出典は『荘子』の徳充符篇。ただし原典に「明鏡止水」という四字が並んで現れるわけではなく、同じ篇に出てくる二つの比喩が後世に組み合わされて成語になったとされる。