無念無想(むねんむそう)
すべての雑念を払い、心を空にして何も考えない状態。本来は仏教語で無我の境地を言うが、「何の考えもない、思慮がない」という悪い意味で使われることもある。
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そのまま使える例文
弓道部の主将は壮行会で「的の前では無念無想、稽古してきた形を信じます」と語った。
深掘りに備える — 由来
出典は特定されていない。辞書には「無念無想」の四字が漢籍や仏典にそのまま見える例は挙げられておらず、特定の人物や故事に結びつく記録も確認できない。
聞かれたら: 「出典は特定されていない。」と正直に答えるのが最も強い。
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出典は特定されていない。辞書には「無念無想」の四字が漢籍や仏典にそのまま見える例は挙げられておらず、特定の人物や故事に結びつく記録も確認できない。「無念」は本来仏教語で、私心や妄念を取り去って無我の境地に入った状態を指し、「無想」は何も思わないことを表す(『四字熟語を知る辞典』)。『精選版 日本国語大辞典』は、一切の想念を離れるという仏語としての意味の用例に浮世草子『傾城禁短気』(1711年)の「ただ夢の浮世に無念無想にして、遊ぶ所が極楽々々」を挙げる。あわせて「何の考えもない、思慮のない」という意味の用例として、浄瑠璃『百合若大臣野守鏡』(1711年頃)の「むねんむさうの下部共」も挙げている。江戸時代中期にはすでに、良い意味と悪い意味の両方で使われていたことになる。
似た語と間違えない
「明鏡止水」は曇りのない澄んだ心境を静かな水面にたとえ、落ち着いた心の状態を言う。「虚心坦懐」はわだかまりを捨てて素直に人や物事に向き合う態度を言う。「無念無想」は考えそのものを手放した無心の状態に重心があり、集中の極みを言う一方で、思慮がないという意味にも転ぶ。
対義語: 意馬心猿
こんなシーンで使う
武道や弓道、打席に立つ前の心構えとして、書き初めや壮行会の抱負に掲げると、聞き手には「余計なことを考えず目の前に集中する」という姿勢が伝わる。ただし辞書には「思慮のないこと」という悪い意味も載っており、面接で仕事の進め方として「無念無想で取り組みます」と言うと、面接官には考えずに動く人だと受け取られかねない。使うなら、集中する対象(一球・一射・本番の一瞬)を必ず添えたい。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 無念無想の類義語は?
- 明鏡止水、心頭滅却、無我の境地
- 無念無想の由来は?
- 出典は特定されていない。辞書には「無念無想」の四字が漢籍や仏典にそのまま見える例は挙げられておらず、特定の人物や故事に結びつく記録も確認できない。