曲学阿世(きょくがくあせい)
学問の真理を曲げてまで、世間や権力者の気に入るような言動をすること。学者としての筋を通さず、時勢に迎合する姿勢を指す。
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そのまま使える例文
シンポジウムで「結論を先に決めた調査は曲学阿世と言われても仕方がない」と述べた。
深掘りに備える — 由来
出典は『史記』儒林列伝。前漢の武帝が即位して賢良の士を召し出したとき、九十歳を超えていた老学者の轅固生(えんこせい)も再び召された。
聞かれたら: 「『史記』儒林列伝に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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出典は『史記』儒林列伝。前漢の武帝が即位して賢良の士を召し出したとき、九十歳を超えていた老学者の轅固生(えんこせい)も再び召された。同じく召された若い学者の公孫弘が轅固生を見下すような目を向けたのに対し、轅固生は「公孫子、務めて正学を以て言え、学を曲げて以て世に阿(おもね)ること無かれ」(公孫先生、正しい学問に基づいて発言しなさい。学問を曲げて世間に迎合してはならない)と諭した。この一節が四字に縮められて成語になった。同じ文は『漢書』儒林伝にも見える。「阿」はおもねる、へつらうの意。日本でこの語が広く知られるようになったのは、1950年5月、首相の吉田茂が、全面講和を主張した東京大学総長の南原繁を「曲学阿世の徒」と評したことによる。
似た語と間違えない
「阿諛追従」が相手の機嫌を取る振る舞い全般を指すのに対し、「曲学阿世」は学問の中身を曲げるところまで踏み込む。「面従腹背」は表向き従いながら内心では背いていることを言い、外向きの言動と内心が食い違う構図が違う。「事大主義」は強い側につくという立場の選び方を指し、学問という手段は問わない。
対義語: 直言極諫、面折廷争
こんなシーンで使う
研究者や評論家の姿勢を批判する語で、聞き手には「この人は信用できない」という判定として届く。相手の結論ではなく動機を疑う言葉なので、個人に向ければ名誉に関わる非難になり、根拠を示せないまま使うと言った側の党派性のほうが記憶に残る。自分の側に向けて「曲学阿世にならないよう、不利なデータも同じ資料に載せます」と述べる使い方なら、手続きの宣言として穏当に収まる。学問や調査に関わらない場面の迎合に当てると、語のほうが大きく響く。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 曲学阿世の類義語は?
- 阿諛追従、事大主義、面従腹背
- 曲学阿世の由来は?
- 出典は『史記』儒林列伝。前漢の武帝が即位して賢良の士を召し出したとき、九十歳を超えていた老学者の轅固生(えんこせい)も再び召された。