曲学阿世(きょくがくあせい)
学問の真理を曲げてまで、世間や権力者の気に入るような言動をすること。学者としての筋を通さず、時勢に迎合する姿勢を指す。
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そのまま使える例文
シンポジウムで「結論を先に決めた調査は曲学阿世と言われても仕方がない」と述べた。
深掘りに備える — 由来
出典は『史記』儒林列伝。前漢の武帝が即位して賢良の士を召したとき、九十歳を超えていた老学者の轅固生(えんこせい)も再び召され、同じく召された後輩の公孫弘が轅固生を横目でにらんだ。
聞かれたら: 「『史記』儒林列伝「公孫子、務正学以言、無曲学以阿…に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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出典は『史記』儒林列伝。前漢の武帝が即位して賢良の士を召したとき、九十歳を超えていた老学者の轅固生(えんこせい)も再び召され、同じく召された後輩の公孫弘が轅固生を横目でにらんだ。原文は「固之徴也、薛人公孫弘亦徴、側目而視固。固曰、公孫子、務正学以言、無曲学以阿世」。轅固生の「公孫先生、正しい学問に基づいて発言しなさい。学問を曲げて世におもねってはならない」という言葉の末尾が四字に縮まって成語になった。『漢書』儒林伝もほぼ同じ文を載せる。「曲学」は真理を曲げた学問のことで、『戦国策』趙策に二字語としての用例があり、日本語でも『翁問答』(1650年)に「異端曲学」の形で見える(精選版日本国語大辞典・普及版字通)。「阿」はおもねる、へつらうの意。四字での日本語の早い実例は新井白石の『折たく柴の記』(1716年頃)で、「例の曲学阿世の故智によりて」と相手を非難する文脈に出る(精選版日本国語大辞典)。四字熟語を知る辞典は柳田国男『国語の将来』(1935年)と井伏鱒二『黒い雨』(1965〜66年)の用例を挙げ、井伏の文では詩の「二日に四合」を「三合」と書き換える行為が「曲学阿世の徒のすること」と呼ばれている。この語が戦後の日本で広く知られたきっかけとして同辞典が挙げるのは、1950年、単独講和を急ぐ首相の吉田茂が、全面講和を主張した東京大学総長の南原繁を党の会合で「曲学阿世の徒」と批判した出来事である。台湾教育部の『重編国語辞典修訂本』は『明史』陸粲伝の「黄綰曲学阿世、虚談眩人」を例に引いており、中国でも史書の人物評に使われてきた語である。
似た語と間違えない
四字熟語どうしの類義語・対義語を挙げる辞典は、今回確認した範囲では見つからなかった。デジタル大辞泉が類語に並べるのは「迎合」「阿諛」「追従」「学匪」などの二字語で、台湾教育部の『重編国語辞典修訂本』は反義に「孤芳自賞」(世に受け入れられなくても自分の節を守る意)を置く。似た場面で使われる語との線引きは「学問の中身まで曲げたか」にある。「阿諛追従」は相手の機嫌を取る振る舞い全般を言い、学問は問わない。「面従腹背」は表向き従いながら内心では背く構図で、外向きの言動と内心の食い違いを指すのに対し、「曲学阿世」は学説そのものを世間に合わせて変えている。「事大主義」は強い側につくという立場の選び方で、やはり手段は問わない。学者・評論家・調査報告のように「本来は真理を言うべき立場」が前提にあるときだけ、この語は正確に当たる。
こんなシーンで使う
研究者や評論家の姿勢を批判する語で、聞き手には「この人は信用できない」という判定として届く。相手の結論ではなく動機を疑う言葉なので、個人に向ければ名誉に関わる非難になり、根拠を示せないまま使うと言った側の党派性のほうが記憶に残る。吉田茂の例でも、辞典は「他人を公然と罵倒すべきではない」と釘を刺している。自分の側に向けて「曲学阿世にならないよう、不利なデータも同じ資料に載せます」と述べる使い方なら、手続きの宣言として穏当に収まる。学問や調査に関わらない場面の迎合に当てると、語のほうが大きく響く。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 曲学阿世の類義語は?
- 迎合、阿諛
- 曲学阿世の由来は?
- 出典は『史記』儒林列伝。前漢の武帝が即位して賢良の士を召したとき、九十歳を超えていた老学者の轅固生(えんこせい)も再び召され、同じく召された後輩の公孫弘が轅固生を横目でにらんだ。