四字熟語

隔靴掻痒かっかそうよう

靴の上からかゆい所をかくように、核心に手が届かずもどかしいこと。あと一歩のところで肝心な部分に触れられない状態を言う。

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この語を使ってよい場面◎最適 ○使える △注意
スピーチ進め方への評価なので個人に刺さりにくい。代案を添えれば提案として通る
面接座右の銘にはならない。打開した経験の前置きとして使うなら行動の説明になる
注意: 代案を添えないと不満の表明だけで終わる。読みは「かっかそうよう」が一般的だが「かくかそうよう」とする辞書もある。

そのまま使える例文

報告会で「現場を見ずに数字だけ議論しても隔靴掻痒です」と述べ、訪問の予定を提案した。

オンラインの質疑は隔靴掻痒の感が残り、結局はあとで個別に電話をかけた。
マニュアルを読んでも知りたい手順に触れておらず、隔靴掻痒だった。
「隔靴掻痒の議論はやめて、当事者を呼ぼう」と部長が話を打ち切った。

深掘りに備える — 由来

出典: 『無門関』序

出典は南宋の禅書『無門関』(無門慧開編・1228年成立)の序。悟りを言葉の詮索で得ようとする態度を戒めた箇所で、「棒を掉(ふる)って月を打ち、靴を隔てて痒きを掻く」(原文「掉棒打月、隔靴爬癢」)と述べられている。

聞かれたら: 「『無門関』序に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。

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出典は南宋の禅書『無門関』(無門慧開編・1228年成立)の序。悟りを言葉の詮索で得ようとする態度を戒めた箇所で、「棒を掉(ふる)って月を打ち、靴を隔てて痒きを掻く」(原文「掉棒打月、隔靴爬癢」)と述べられている。棒を振り回して月を打とうとすることと並べ、見当違いで肝心なところに届かないたとえとして使われた表現である。原文の表記は「爬癢」で、四字熟語としては「掻痒」の字が一般化した。禅の灯史『景徳伝灯録』にも同じ趣旨の表現が見えるとして、巻二十二をあわせて典拠に挙げる辞典もある。日本語の文章での古い例としては、精選版日本国語大辞典が渋沢栄一『立会略則』(1871年)の序の「看者尚隔靴掻癢の患あらんことを恐れ」を挙げる。

似た語と間違えない

隔靴掻痒靴の上からかゆい所をかくように、核心に手が届かずもどかしいこと。
隔靴爬痒
二階から目薬
歯痒い

「歯痒い」がもどかしさという感情そのものを言うのに対し、「隔靴掻痒」は手段が核心に届いていないという原因の側を指す。「二階から目薬」は効き目がまるで無いという結果に重心があり、惜しいところまでは届いているという含みは薄い。「五里霧中」は方向すら分からない状態で、核心の位置が見えている隔靴掻痒とは段階が違う。

対義語: 単刀直入、一刀両断

こんなシーンで使う

議論や対応が核心を外していることを指摘する語で、聞き手には「やり方を変えよう」という提案として届く。人ではなく進め方に向けた評価なので会議で使っても批判が個人に刺さりにくいが、代案を添えないと不満の表明だけで終わる。面接やESで座右の銘として挙げる語ではなく、「隔靴掻痒だった状況を、当事者に会って変えた」というように打開した経験の前置きに使うと行動の説明になる。読みは「かっかそうよう」が一般的だが「かくかそうよう」とする辞書もあるため、人前で読み上げる前に確かめておきたい。

以下のテーマ・シーンでよく使われます。

よくある質問

隔靴掻痒の類義語は?
隔靴爬痒、二階から目薬、歯痒い
隔靴掻痒の由来は?
出典は南宋の禅書『無門関』(無門慧開編・1228年成立)の序。悟りを言葉の詮索で得ようとする態度を戒めた箇所で、「棒を掉(ふる)って月を打ち、靴を隔てて痒きを掻く」(原文「掉棒打月、隔靴爬癢」)と述べられている。
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