四字熟語
一日千秋(いちじつせんしゅう)
会えない一日が千年にも感じられるほど、相手や知らせを待ち焦がれる気持ち。恋愛に限らず、待ち望んだ人の来訪や返事を待つ心情にも使う。
最終更新日:
由来
もとになった表現の出典は『詩経』王風・采葛。「彼采蕭兮 一日不見 如三秋兮」(あの蕭を摘みに行く、一日会わなければ三秋のように長く感じられる)とあり、原典の形は「一日三秋」である。「一日千秋」の四字は原典には現れず、「一日三秋」を強めた形として後にできたものとされる。『語源由来辞典』は、三秋より千秋のほうが長く感じられること、「さん」と「せん」の音が近いことを理由に、一説として日本で使われるようになった形と説明する(この点を明言する資料は他に確認できていない)。「秋」は収穫期であることから一年の区切りとされ、年の意味を持つ。したがって「千秋」は千年を指す。なお原典の「三秋」の解釈自体にも、秋の三か月・九か月・三年と諸説がある。日本語としての用例は『近世紀聞』(1875〜81年)にさかのぼる(『精選版 日本国語大辞典』)。
例文
- 開会の挨拶で「この日を一日千秋の思いで待っておりました」と述べた。
- 送別会の締めに、再会を一日千秋の思いで待つと伝えた。
- 審査結果の通知を一日千秋の思いで待った。
- 留学中の妹の帰国を、母は一日千秋の思いで待っている。
類義語・対義語
「一日三秋」は『詩経』の原典に近い形で、誇張の度合いが一段小さい。「一刻千秋」はわずかな時間が長く感じられることに焦点があり、待つ時間の単位が違う。「寤寐思服」は寝ても覚めても思い続ける状態を指し、待つことよりも想い続けること自体に重心がある。
こんなシーンで使う
祝辞や歓迎・送別の挨拶で、待ち望んでいた気持ちを一言で表すのに向く。聞き手には「この日を軽く扱っていない」という姿勢が伝わる。一方で辞書が載せる用例は待つ側の心情に限られ、自分の努力や実績を語る言葉ではないため、面接やESで座右の銘として挙げると、何をしてきた人なのかが伝わらないまま終わる。多くは「一日千秋の思いで待つ」という形で使われるので、この形から外すと硬く響く。辞書の見出しは「いちにちせんしゅう」「いちじつせんしゅう」の両方が立っており、どちらで読んでも誤りではない。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 一日千秋の類義語は?
- 一日三秋、一刻千秋、寤寐思服
- 一日千秋の由来は?
- もとになった表現の出典は『詩経』王風・采葛。「彼采蕭兮 一日不見 如三秋兮」(あの蕭を摘みに行く、一日会わなければ三秋のように長く感じられる)とあり、原典の形は「一日三秋」である。