四字熟語

一日千秋(いちじつせんしゅう)

会えない一日が千年にも感じられるほど、相手や知らせを待ち焦がれる気持ち。恋愛に限らず、待ち望んだ人の来訪や返事を待つ心情にも使う。

最終更新日:

この語を使ってよい場面◎最適 ○使える △注意
○スピーチ歓迎や送別の挨拶で、待ち望んでいた気持ちを「一日千秋の思いで」の形で伝えられる
△面接待つ側の心情を表す語で、努力や実績を語る言葉にはならない
注意: 待つ側の心情を表す語で、努力や実績を語る言葉ではない。「一日千秋の思いで待つ」の形で使うのが基本。

そのまま使える例文

スピーチ

開会の挨拶で「この日を一日千秋の思いで待っておりました」と述べた。

送別会の締めに、再会を一日千秋の思いで待つと伝えた。
審査結果の通知を一日千秋の思いで待った。
留学中の妹の帰国を、母は一日千秋の思いで待っている。

深掘りに備える — 由来

出典: 『詩経』王風・采葛

もとになった表現の出典は『詩経』王風・采葛。「彼采蕭兮 一日不見 如三秋兮」(あの人は蕭を摘みに行った。

聞かれたら: 「『詩経』王風・采葛に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。

由来の全文を読む

もとになった表現の出典は『詩経』王風・采葛。「彼采蕭兮 一日不見 如三秋兮」(あの人は蕭を摘みに行った。一日会わなければ三秋のように長く感じられる)とあり、原典の形は「一日三秋」である。この詩は三章からなり、同じ句を「三月」「三秋」「三歳」と一語ずつ替えて繰り返す(維基文庫で原文を確認)。「三秋」の解釈は辞典でも分かれ、精選版日本国語大辞典は「秋」を一年の意とも秋三か月の意ともいうとし、日本大百科全書は旧暦七・八・九月の三か月とも三年ともいうとする。語源由来辞典は九か月と取る説にも触れる。詩の趣旨も一つではなく、毛詩序は讒言を恐れる詩と解し、台湾教育部の『成語典』は離れた恋人どうしの思いを描いた詩と説明する。「一日千秋」の四字は原典には現れない。語源由来辞典は、三秋より千秋のほうが長く感じられること、「さん」と「せん」の音が近いことを理由に、日本で使われるようになった形と説明する。これを明言する資料は他に確認できていないが、台湾教育部の『重編国語辞典修訂本』『成語典』は「一日三秋」を立項する一方、「一日千秋」の見出しはどちらにもない。「秋」は収穫期であることから一年の区切りとされ、「千秋」は千年を指す。日本での用例を精選版日本国語大辞典でたどると、「一日三秋」は『本朝文粋』(1060年頃)の大江以言の詩序、「三秋の思い」は『江戸繁昌記』(1832〜36年)、「一刻千秋」は『布令必用新撰字引』(1869年)、「一日千秋」は『近世紀聞』(1875〜81年)が挙がる。同辞典の範囲では、千秋の形の記録は明治初年からである。「いちじつ」の読みの例には落語『花見趣向』(1897年)が引かれている。近代以降では有島武郎『或る女』(1919年、ことわざを知る辞典)と永井龍男『身辺すごろく』(1976年、四字熟語を知る辞典)が「一日千秋の思いで待つ」の形で使い、井上ひさし『新釈遠野物語』(1976年、同)はこれをもじって「一秒万秋」と言っている。

似た語と間違えない

一日千秋会えない一日が千年にも感じられるほど、相手や知らせを待ち焦がれる気持ち。
一日三秋
一刻千秋
三秋の思い
鶴首

「一日三秋」は『詩経』の原典に沿った形で、デジタル大辞泉は「一日千秋」に同じとする。辞典の上で意味の差はなく、誇張の数字が違うだけである。「一刻千秋」も精選版日本国語大辞典と四字熟語を知る辞典が「一日千秋」と同じ意味とするが、デジタル大辞泉はわずかな時間が非常に長く感じられることと説明しており、待つ時間の単位が「一日」より短い。用例は二葉亭四迷『浮雲』や国木田独歩『泣き笑ひ』に見える。「三秋の思い」は同じ『詩経』の句から出た言い方で、デジタル大辞泉は語釈に「一日千秋の思い」を添えている。「鶴首」はデジタル大辞泉の類語欄と語源由来辞典が挙げる語で、鶴のように首を長く伸ばして待つ姿のたとえ。「鶴首して待つ」の形で使い、時間の長さでたとえる「一日千秋」とは、たとえの出どころが違う。四字熟語辞典オンラインは「寸陰若歳」も類義語に挙げるが、ほかの辞典では確認できなかった。「寤寐思服」は寝ても覚めても思い続ける意で、待つことよりも想い続けること自体に重心があり、類義語として並べる辞典は見当たらない。照合した辞典に、この語の対義語の記載はなかった。

こんなシーンで使う

祝辞や歓迎・送別の挨拶で、待ち望んでいた気持ちを一言で表すのに向く。聞き手には「この日を軽く扱っていない」という姿勢が伝わる。一方で辞書が載せる用例は待つ側の心情に限られ、自分の努力や実績を語る言葉ではないため、面接やESで座右の銘として挙げると、何をしてきた人なのかが伝わらないまま終わる。四字熟語を知る辞典が活用を「―の思い」と示すとおり、多くは「一日千秋の思いで待つ」という形で使われるので、この形から外すと硬く響く。待つ側の言葉なので、自分が相手を待たせた場面で使うと、主客が逆になって意味が通らない。読みは、デジタル大辞泉と精選版日本国語大辞典が「いちにちせんしゅう」を主見出しにして「いちじつせんしゅう」を参照見出しとし、四字熟語辞典オンラインと語源由来辞典は「いちじつせんしゅう」を先に出す。どちらで読んでも誤りではない。

以下のテーマ・シーンでよく使われます。

よくある質問

一日千秋の類義語は?
一日三秋、一刻千秋、三秋の思い、鶴首
一日千秋の由来は?
もとになった表現の出典は『詩経』王風・采葛。「彼采蕭兮 一日不見 如三秋兮」(あの人は蕭を摘みに行った。
PR
言葉の本で理解を深めるなら
楽天ブックスで「四字熟語」の本を探す
見てみる