意馬心猿(いばしんえん)
走り回る馬や騒ぎ立てる猿のように、欲望や煩悩が抑えがたく乱れ動くこと。心を鎮めようとしてもままならない状態を、二つの動物にたとえた仏教由来の言葉。
最終更新日:
そのまま使える例文
壮行会で「意馬心猿に振り回されないよう、練習の型だけは崩さずにいきます」と話した。
深掘りに備える — 由来
「意(こころ)」を走り出したら止めがたい馬に、「心」を木々を飛び移る猿にたとえ、煩悩を抑えることの難しさを言った仏教語。日本大百科全書は典拠として『参同契』の「発揮中」を挙げ、心猿が定まらず意馬が四方に駆けるなら神気は外に散乱する、という一節を引く。
聞かれたら: 「『参同契』発揮中に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
由来の全文を読む
「意(こころ)」を走り出したら止めがたい馬に、「心」を木々を飛び移る猿にたとえ、煩悩を抑えることの難しさを言った仏教語。日本大百科全書は典拠として『参同契』の「発揮中」を挙げ、心猿が定まらず意馬が四方に駆けるなら神気は外に散乱する、という一節を引く。ただし「参同契」の名を持つ書物には、道教の錬丹術書『周易参同契』とその注釈の系統と、唐の禅僧・石頭希遷の詩『参同契』があり、解説によって由来の説明が分かれる。引かれる一節が「還丹」という錬丹の語を含むことから、前者の注釈にあたるとみられる。禅の語録『趙州録』の遺表にも「心猿跳るをやめ、意馬馳を休む」という並行する表現がある。精選版日本国語大辞典とデジタル大辞泉は漢籍の典拠を示さず、馬と猿の比喩からの説明にとどめており、日本語の用例としては『両足院本山谷抄』(1500年頃)の「人胸中は意馬心猿と云て、物忩な者ぞ」を初出に挙げる。語順を入れ替えた「心猿意馬」も同じ意味で使われる。
似た語と間違えない
「明鏡止水」が澄み切った心という到達点を指すのに対し、「意馬心猿」はその反対側の、抑えようとしても乱れてしまう状態を指す。「心猿意馬」は語順が違うだけで意味は変わらない。「優柔不断」は決められないという判断の遅さを言い、欲望に引かれるという含みはない。
対義語: 明鏡止水、無念無想、一心不乱
こんなシーンで使う
自分の心が定まらないことを認める語で、聞き手には「浮つきを自覚している人」として届く。他人に向けて使えば欲に振り回されていると評することになるので、対象は自分に限るのが無難。面接やESで座右の銘に据える語ではないが、集中を保つ工夫を語る前置きとして「意馬心猿になりやすいので、始める時間だけは固定している」と使えば、対策とセットの自己認識として伝わる。もとは色欲を含む煩悩全般を指す仏教語なので、軽い気の散り方に当てると語のほうが大きく響く。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 意馬心猿の類義語は?
- 心猿意馬、煩悩熾盛
- 意馬心猿の由来は?
- 「意(こころ)」を走り出したら止めがたい馬に、「心」を木々を飛び移る猿にたとえ、煩悩を抑えることの難しさを言った仏教語。日本大百科全書は典拠として『参同契』の「発揮中」を挙げ、心猿が定まらず意馬が四方に駆けるなら神気は外に散乱する、という一節を引く。