恬淡(てんたん)
名声や利益に執着せず、あっさりとした心境でいること。「恬」は心が安らかなさま、「淡」はあっさりしたさまという字義を持つ。
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そのまま使える例文
送別の挨拶で「部長は恬淡とした方でした。手柄の話を一度も聞いたことがありません」と述べた。
深掘りに備える — 由来
老荘の語である。『荘子』刻意篇に「虚無恬惔、乃合天徳」——心を虚しくして安らかであれば、天の徳にかなう——とあり、同じ書の天道篇にも「夫虚静恬淡寂漠無為者、天地之平而道徳之至也」(それ虚静恬淡寂漠無為なる者は、天地の平にして道徳の至りなり)と見える。
聞かれたら: 「『荘子』刻意篇「虚無恬惔、乃合天徳」に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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老荘の語である。『荘子』刻意篇に「虚無恬惔、乃合天徳」——心を虚しくして安らかであれば、天の徳にかなう——とあり、同じ書の天道篇にも「夫虚静恬淡寂漠無為者、天地之平而道徳之至也」(それ虚静恬淡寂漠無為なる者は、天地の平にして道徳の至りなり)と見える。恬淡は単なる無気力ではなく、作為をやめた状態を指す道家の中心語だった。精選版日本国語大辞典はこのほか『史記』秦始皇本紀と『大智度論』一三を参考に挙げ、日本語の文献での早い用例として『家伝』(760年頃)の「其性温良、其心貞固、非義弗領。毎好恬淡」(其の性は温良、其の心は貞固、義に非ざれば領せず。毎に恬淡を好む)を挙げる。奈良時代にはすでに人物評の語として使われていたことが分かる。室町期の清原国賢書写本『荘子抄』(1530年)にも「聖人は心を恬淡寂漠に休し、智を虚無無為に息てをく也」とあり、原典の文脈のまま読み継がれていた。なお表記は「恬淡」「恬澹」「恬惔」が併存し、『荘子』刻意篇は「恬惔」の字を用いる。
似た語と間違えない
「無欲恬淡」が四字で語調を整えた成語であるのに対し、二字の「恬淡」は「恬淡とした人」のように文中へ組み込みやすい。「虚心坦懐」が先入観を持たずに人と向き合う態度を指すのに対し、恬淡は名利そのものへの執着の薄さを言う。「悠々自適」が思いのままに暮らす境遇まで含むのに対し、恬淡は境遇ではなく心の持ち方だけを指す。
対義語: 貪欲、執着
こんなシーンで使う
他者の人柄を評する挨拶や、欲の置きどころを言葉にする書き初めに向く。聞き手には「成果を独り占めしない人」という像が届く。ただし面接やESでは、恬淡=評価や結果にこだわらない、と読まれて志望度の低さに見える危険がある。使うなら、こだわらないのは何か(順位・手柄)と、こだわるのは何か(仕事の中身)を並べて示したい。読みは「てんたん」で字も見慣れないため、口頭のスピーチでは意味を一言添えたい。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 恬淡の類義語は?
- 無欲恬淡、虚心坦懐、悠々自適
- 恬淡の由来は?
- 老荘の語である。『荘子』刻意篇に「虚無恬惔、乃合天徳」——心を虚しくして安らかであれば、天の徳にかなう——とあり、同じ書の天道篇にも「夫虚静恬淡寂漠無為者、天地之平而道徳之至也」(それ虚静恬淡寂漠無為なる者は、天地の平にして道徳の至りなり)と見える。