心頭滅却(しんとうめっきゃく)
心の中の雑念や執着を消し去れば、どんな苦しみも苦しみと感じなくなるということ。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の前半を切り出した形で、暑さや苦境を心の持ち方で乗り越える意に使われる。
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そのまま使える例文
夏の大会前の決起集会で、主将が「心頭滅却の気持ちで、最後の走り込みをやり切ろう」と呼びかけた。
深掘りに備える — 由来
出典は唐の詩人・杜荀鶴の詩「夏日題悟空上人院」(夏日、悟空上人の院に題す)。暑い夏の日に悟空上人の僧院を訪ねて詠んだもので、結びの二句「安禅不必須山水/滅得心中火自涼」(安禅は必ずしも山水を須いず、心中を滅し得れば火も自ら涼し)は、坐禅に静かな山水は必ずしも要らず、心の中の火を消してしまえば暑さも自然と涼しく感じられる、と上人の境地をたたえている。
聞かれたら: 「杜荀鶴「夏日題悟空上人院」に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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出典は唐の詩人・杜荀鶴の詩「夏日題悟空上人院」(夏日、悟空上人の院に題す)。暑い夏の日に悟空上人の僧院を訪ねて詠んだもので、結びの二句「安禅不必須山水/滅得心中火自涼」(安禅は必ずしも山水を須いず、心中を滅し得れば火も自ら涼し)は、坐禅に静かな山水は必ずしも要らず、心の中の火を消してしまえば暑さも自然と涼しく感じられる、と上人の境地をたたえている。この句は宋代の禅僧・圜悟克勤の『碧巌録』第四十三則にも引かれ、禅語として広まった。日本では、天正十年(1582年)に織田信忠の軍勢が甲斐の恵林寺を焼き討ちした際、住職の快川紹喜が炎の中でこの句を唱えて没したと伝えられ、その逸話とともによく知られるようになった。原詩が「心中」、よく知られる形が「心頭」と字が異なる点は、由来を語るときに押さえておきたい。
似た語と間違えない
「無念無想」は雑念のない無心の状態そのものを言い、「明鏡止水」は曇りのない静かな心境を鏡と水にたとえる。「心頭滅却」は雑念を消すことで苦しさを苦しさと感じなくなる、という苦境を越える働きの側に重心がある。
対義語: 意馬心猿
こんなシーンで使う
部活の決起集会や書き初めで、苦しい練習や暑さに負けない決意を示す語として使われる。句そのものが広く知られているので、チームメイトには一言で「気持ちで乗り切ろう」という意図が伝わる。一方で根性論の言い換えとして受け取られやすく、指導する立場の人が暑さや体調不良を我慢させる文脈で使うと、聞き手には無理を強いる言葉に聞こえる。本来は禅僧の境地をたたえた句であり、他人に我慢を求める標語ではない点を押さえて使いたい。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 心頭滅却の類義語は?
- 無念無想、明鏡止水、精神統一
- 心頭滅却の由来は?
- 出典は唐の詩人・杜荀鶴の詩「夏日題悟空上人院」(夏日、悟空上人の院に題す)。暑い夏の日に悟空上人の僧院を訪ねて詠んだもので、結びの二句「安禅不必須山水/滅得心中火自涼」(安禅は必ずしも山水を須いず、心中を滅し得れば火も自ら涼し)は、坐禅に静かな山水は必ずしも要らず、心の中の火を消してしまえば暑さも自然と涼しく感じられる…