千載一遇(せんざいいちぐう)
千年に一度しかめぐりあえないほど、まれな機会。「千載一遇のチャンス」のように、またとない好機そのものを言う。
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そのまま使える例文
登壇の冒頭で、「この場で話せる千載一遇の機会をいただき、感謝申し上げます」と述べた。
深掘りに備える — 由来
デジタル大辞泉は、東晋の袁宏「三国名臣序賛」に基づく語とする。維基文庫の原文には「夫萬歲一期、有生之通塗、千載一遇、賢智之嘉會」とあり、万歳に一度の巡り合わせが人の世の常の道で、千載に一度の出会いが賢者たちの慶事だ、という趣旨である。
聞かれたら: 「袁宏「三国名臣序賛」に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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デジタル大辞泉は、東晋の袁宏「三国名臣序賛」に基づく語とする。維基文庫の原文には「夫萬歲一期、有生之通塗、千載一遇、賢智之嘉會」とあり、万歳に一度の巡り合わせが人の世の常の道で、千載に一度の出会いが賢者たちの慶事だ、という趣旨である。直前は、道があっても時がなければ孟子が嘆き、時があっても君がなければ賈誼が涙を流した、という文脈で、賢臣と明君が出会うことの稀さを述べた一句だった。「載」は「年」の意味(四字熟語を知る辞典)で、千載は千年を指す。一方、四字熟語辞典オンラインは出典を『文選』の王褒「四子講徳論」とし、辞典によって挙げる出典が分かれる。袁宏の序賛も『文選』巻四十七に収められているが、王褒の側の原文は今回確認できていない。日本での用例は古く、精選版日本国語大辞典は『本朝文粋』所収、大江匡衡の「申越前尾張等守状」の「千歳一遇之栄」を初出の実例とする。同辞典は「千歳一遇」を異表記として見出しに併記しており、誤記と断じる扱いではないが、現在の文書では「千載一遇」が一般的である。
似た語と間違えない
「一期一会」が出会いに誠意を尽くす心構えを説くのに対し、千載一遇は出会った相手でなく、巡ってきた機会の側を主役にした語である。「盲亀浮木」はデジタル大辞泉と四字熟語辞典オンラインがともに挙げる近い語で、出会いがたさを強く言うが、機会を逃すな、という行動の促しは千載一遇のほうが前に出る。Weblio類語は「絶無僅有」などを並べるが、これはほとんど存在しないという数の話で、機会が来る・来ないとは別である。
こんなシーンで使う
過去に得た機会への感謝や、これから臨む場の意気込みを語るときに使うと、聞く側には「機会の稀さを自覚して臨む人だ」と映る。ただ、機会の大きさを言うだけでは運の自慢で終わるので、そのときに何を準備し、何を持ち帰ったかを続けると面接官にも聴衆にも誠実に聞こえる。「御社に入れるなら千載一遇」のように相手を持ち上げる形は、大げさで媚びた響きになりやすい。機会や状態を指す語で、人を形容する語義は辞典にない。変換の際は「一遇」を「一隅」としないよう確かめたい。
よくある質問
- 千載一遇の類義語は?
- 盲亀浮木
- 千載一遇の由来は?
- デジタル大辞泉は、東晋の袁宏「三国名臣序賛」に基づく語とする。維基文庫の原文には「夫萬歲一期、有生之通塗、千載一遇、賢智之嘉會」とあり、万歳に一度の巡り合わせが人の世の常の道で、千載に一度の出会いが賢者たちの慶事だ、という趣旨である。