無双(むそう)
並ぶものがない、比べる相手が見当たらないほど優れていること。「双(ならぶもの)が無い」という字のとおり、優劣の差というより「二番手が遠く離れている」という比較の絶対性に重心がある。なお建築の「無双窓」(連子を左右に動かして開け閉めする窓)、和裁の「無双仕立て」(衣服の表裏を同じ布地で仕立てること)のように称賛とは別系統の語義もあり、そちらに褒める意味はない。
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そのまま使える例文
壮行会の挨拶で、この十年の練習量にかけては彼は無双だったと紹介した。
深掘りに備える — 由来
「無双」は漢籍に由来し、字義は「双(ならぶもの)が無い」。精選版日本国語大辞典は「むそう」の項の出典に『荘子』盗跖を挙げ、同篇には「生而長大、美好無雙、少長貴賤見而皆説之、此上徳也」(生まれつき体が大きく、美しさに並ぶものがなく、老若貴賤を問わず見た者は皆よろこぶ。
聞かれたら: 「『荘子』盗跖「生而長大、美好無雙」に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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「無双」は漢籍に由来し、字義は「双(ならぶもの)が無い」。精選版日本国語大辞典は「むそう」の項の出典に『荘子』盗跖を挙げ、同篇には「生而長大、美好無雙、少長貴賤見而皆説之、此上徳也」(生まれつき体が大きく、美しさに並ぶものがなく、老若貴賤を問わず見た者は皆よろこぶ。これが最上の徳だ)とある。最も知られるのは『史記』淮陰侯列伝で、いったん逃げた韓信を連れ戻した蕭何が漢王に「至如信者、國士無雙」(韓信のような者は、国じゅうに並ぶ者がおりません)と説く場面。デジタル大辞泉と精選版日本国語大辞典は、この淮陰侯伝を「国士無双」の出典に挙げる。普及版字通は『後漢書』儒林伝下、許慎の条の「五經無雙、許叔重」を引く。日本語では「ぶそう」とも読み、精選版は和漢朗詠集(一一世紀前半)の菅原文時の句や、高野本平家物語の「まことに無双の碩徳、天下第一の高僧にておはしければ」を早い用例に挙げている。
似た語と間違えない
同じ「抜きん出た人」でも、「泰斗」はその分野で仰がれる権威、「円熟」は年月をかけて角が取れた完成度を指し、どちらも積み上げた時間が語のなかに含まれている。「慧眼」は見抜く力という能力の内訳を名指しする。無双はそこが違って、中身の説明を持たず「比べる相手がいない」という位置関係だけを言う語なので、称賛としては最も強い代わりに、何がどう優れているかは一語では伝わらず必ず具体を添える必要がある。「無敵」が負けないことを言うのに対し、無双は勝ち負けの前に比較対象そのものがいないという言い方になる。
対義語: 有象無象、凡庸、十人並み
こんなシーンで使う
人を称える語として据わりがよく、送別や紹介のスピーチで「この分野では無双だった」と他者に向けて使うぶんには、聞き手にも誇張とは取られにくい。一方で自分に使うと、面接官や聴衆には根拠のない自称に聞こえやすく、あとから実績を並べても後付けに見える。もう一つ意識したいのは、現代日本語では「無双する」というサ変動詞の口語用法が広く定着していること。中日新聞校閲部は「秋葉無双」「池上無双」のように人名・場所に付く形が二〇〇〇年代以降に広まったと書いており、聞き手によっては古典語ではなく、くだけたネット寄りの語として届く。書き言葉で古典側の重みを出したいなら、「天下無双」「当代無双」のように熟合した形にすると、口語の「無双する」とは切り離して読まれる。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 無双の類義語は?
- 無比、無二、無敵、随一
- 無双の由来は?
- 「無双」は漢籍に由来し、字義は「双(ならぶもの)が無い」。精選版日本国語大辞典は「むそう」の項の出典に『荘子』盗跖を挙げ、同篇には「生而長大、美好無雙、少長貴賤見而皆説之、此上徳也」(生まれつき体が大きく、美しさに並ぶものがなく、老若貴賤を問わず見た者は皆よろこぶ。