克己(こっき)

自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと。「己に克つ」と訓読し、怠け心や衝動を自分の意志で抑えて、なすべきことをやり抜く姿勢を指す。

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この語を使ってよい場面◎最適 ○使える △注意
○面接自分を律した具体的な経験とセットで語ると、深掘りに耐える
○ES「何に克ったか」を一文で書き添えると、重い語が浮かない
注意: 「何に克ったのか」を具体的に語れないと借り物に聞こえる。原典では「礼に復る」ことと組の語である。

そのまま使える例文

面接

面接で「座右の銘は克己です。受験の一年間、休日も同じ時刻に起きて机に向かい続けました」と答えた。

ESエントリーシートの自己PRに「克己の精神で、毎朝五時の自主練習を三年間続けた」と書いた。
新年の書き初めで「克己」と書き、間食をやめるという目標を壁に貼った。
誘惑に克己して、試験前の一か月は夜のゲームを断った。

深掘りに備える — 由来

出典: 『論語』顔淵「克己復禮爲仁」

『論語』顔淵篇の「克己復礼」に由来する。維基文庫の本文では、顔淵が「仁」を問うたのに対し、孔子が「克己復禮爲仁。

聞かれたら: 「『論語』顔淵「克己復禮爲仁」に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。

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『論語』顔淵篇の「克己復礼」に由来する。維基文庫の本文では、顔淵が「仁」を問うたのに対し、孔子が「克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉、爲仁由己、而由人乎哉」と答え、具体的な内容を問われて「非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動」と述べる。原典の「克己」は単独の標語ではなく、「礼に復る」こととひと組で、仁を実践する方法として説かれた語である。「克己復礼」は古い訓では「わが身をつつしんで礼をふみ行う」と読まれたが、南宋の朱熹は「己」を私欲、「礼」を天理と捉え、私欲を克服して天理に復ることと解釈した。世界大百科事典は、この禁欲的な解釈が清の学者や荻生徂徠らから批判されたと記す。日本語の用例として、精選版日本国語大辞典は杉亨二「人間公共の説」(『明六雑誌』16号、1874年)を挙げ、参照文献に『論語』顔淵を示している。

こんなシーンで使う

二字で言い切れるため、書き初めや目標の掲示、ESの一行に収まりがよい。聞き手の面接官には、自分に厳しい堅実な人という印象で届く一方、「何に克ったのか」をほぼ確実に聞かれる。怠け心なのか、緊張なのか、周囲の誘いなのかを具体的に語れないと、重い言葉だけが浮いて借り物に聞こえる。原典では「礼」と組になる語なので、出典を問われたときは、礼に復るところまで含めた教えだと説明できるようにしておきたい。他人に向かって「もっと克己しろ」と促すのは、説教に聞こえやすい。

以下のテーマ・シーンでよく使われます。

よくある質問

克己の由来は?
『論語』顔淵篇の「克己復礼」に由来する。維基文庫の本文では、顔淵が「仁」を問うたのに対し、孔子が「克己復禮爲仁。
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