燕爾新婚(えんじしんこん)
結婚したばかりの、幸せに満ちた甘い新婚生活。
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そのまま使える例文
結婚披露宴の祝辞で「燕爾新婚のお二人に、心からお祝いを申し上げます」と述べた。
深掘りに備える — 由来
語のもとは『詩経』邶風「谷風」の「宴爾新昏、如兄如弟」(おまえは新しい妻との暮らしを楽しみ、兄弟のように睦まじくしている、の意)。「宴爾新昏」の句は全六章のうち第二・三・六章に三度現れる。
聞かれたら: 「『詩経』邶風「谷風」に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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語のもとは『詩経』邶風「谷風」の「宴爾新昏、如兄如弟」(おまえは新しい妻との暮らしを楽しみ、兄弟のように睦まじくしている、の意)。「宴爾新昏」の句は全六章のうち第二・三・六章に三度現れる。「宴」は毛伝が「安なり」、朱熹『詩集伝』が「楽なり」と注し、音義に「宴は本また燕に作る」とあるとおり「燕」と通じて安らかに楽しむ意、「昏」は「婚」の古い表記である。毛詩の序はこの詩を夫婦の道を失ったことを非難する歌とし、朱熹は「新昏」を夫が新たに娶った妻と説く。つまり原詩は新婚を祝う歌ではなく、夫に捨てられた妻が、夫が新しい妻と仲よく暮らすさまを恨んで詠んだ歌である。台湾教育部『重編国語辞典修訂本』は「宴爾新婚」を主見出しに、語は『詩経』邶風谷風に本づき、のちに他人の新婚を祝う頌辞にも用いると記し、漢典も、もとは棄てられた妻の訴えだったものを後にその意を反転させて新婚を祝う語にしたと説く。宋の洪邁『容斎五筆』は、初婚を「宴爾」と言うのは詩意に合わないと批判しており、転用への抵抗も早くからあった。「新婚燕爾」の語順では元の王実甫『西廂記』第二本第二折「新婚燕爾安排定」や明の葉憲祖『鸞鎞記』第十八齣に用例があり(同辞典)、「燕爾新婚」の形は元の関漢卿『裴度還帯』や『西遊記』第六十回に見える(台湾教育部『成語典』附録)。日本の主要な国語辞典・四字熟語辞典には見出しを確認できない。
似た語と間違えない
「新婚燕爾」は語順を変えた同じ語で、中国語ではこちらが一般的である。「宴爾新婚」は『詩経』の原字に近い表記で、台湾教育部『重編国語辞典修訂本』はこれを主見出しとし、三つの形を「也作(〜とも書く)」で結ぶ。漢典は「洞房花燭」(婚礼の夜の部屋と祝いの灯)を近義に挙げるが、こちらは婚礼そのものを指し、新婚生活の時期を言う燕爾新婚とは焦点が違う。「比翼連理」「琴瑟相和」は年月をかけて深まった仲を表す語で、辞典が燕爾新婚の類語に挙げるものではなく、結婚したばかりという時期の幸福に限って使う燕爾新婚とは使う場面がずれる。
こんなシーンで使う
披露宴の祝辞や結婚の報告で、新婚の幸福そのものを言い表す語として使える。聞き手には「二人の新しい暮らしを喜んでいる」という祝意が伝わる。ただし耳になじまない語なので、口頭のスピーチで使うなら「結婚したばかりの」という言い換えを添えたほうが届く。結婚から年数の経った夫婦に使うと的が外れるため、対象は新婚の二人に限られる。由来を披露宴で紹介するなら、恨みの歌から祝いの言葉へ転じた経緯まで一息で説明できるときに限りたい。途中で止めると、祝辞の席で捨てられた妻の歌を引いた形になる。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 燕爾新婚の類義語は?
- 新婚燕爾、宴爾新婚
- 燕爾新婚の由来は?
- 語のもとは『詩経』邶風「谷風」の「宴爾新昏、如兄如弟」(おまえは新しい妻との暮らしを楽しみ、兄弟のように睦まじくしている、の意)。「宴爾新昏」の句は全六章のうち第二・三・六章に三度現れる。