慟哭(どうこく)
悲しみに耐えきれず、声をあげて泣き伏すこと。涙が出るという段階を越えて、体ごと持っていかれるような泣き方を指す。
最終更新日:
そのまま使える例文
知らせを受けた彼は、廊下の隅で声を殺しきれずに慟哭した。
深掘りに備える — 由来
精選版日本国語大辞典は「慟哭」の項に、日本での早い所出として色葉字類抄(一一七七〜八一年)を挙げ、漢籍の参照文献として李白「古風」其五十四を挙げる。李白のその詩は「晋風日已頽、窮途方慟哭」(晋の気風は日々衰え、行きづまった果てにようやく慟哭する)と結ばれ、追いつめられて声をあげて泣く文脈で二字が使われている。
聞かれたら: 「色葉字類抄に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
由来の全文を読む
精選版日本国語大辞典は「慟哭」の項に、日本での早い所出として色葉字類抄(一一七七〜八一年)を挙げ、漢籍の参照文献として李白「古風」其五十四を挙げる。李白のその詩は「晋風日已頽、窮途方慟哭」(晋の気風は日々衰え、行きづまった果てにようやく慟哭する)と結ばれ、追いつめられて声をあげて泣く文脈で二字が使われている。日本語の実例としては島崎藤村『破戒』(一九〇六年)の「声を揚げて慟哭したいとも思った」が挙がる。よく引かれる論語との関係は、二字熟語そのものではなく「慟」の字の側にある。論語先進篇に「顔淵死、子哭之慟。従者曰、子慟矣」——顔淵が死に、孔子はこれを哭して慟した、供の者が「先生は慟しておられます」と言った——とあり、普及版字通はこの条を「慟」の項に引いて、肉親でなければ哭するのが礼であった、と注する。慟は説文新附に「大いに哭するなり」とあり、字通は弔問のとき声をあげ、身をふるわせて泣くことと説明する。哭も声をあげて泣く意なので、近い意味の字を重ねて泣き方の深さを示した語ということになる。
似た語と間違えない
「号泣」「号哭」と重なるが、慟哭は「慟」が身をふるわせる意を持つぶん、声の大きさよりも悲しみに体が持っていかれている状態に重心がある。号泣は本来「大声をあげて泣く」意で、文化庁の令和四年度「国語に関する世論調査」では本来の意味を選んだ人が三〇・三%、本来の意味ではない「激しく泣く」を選んだ人が四二・一%と、受け取られ方が揺れている。慟哭にはその揺れがなく、辞書の語義がほぼそのまま届く。ただし届く強度も高いので、悲しみを盛った表現として読まれるリスクは号泣より大きい。
対義語: 呵呵大笑、抱腹絶倒、歓喜
こんなシーンで使う
弔辞や追悼文、あるいは小説や記事で人の悲しみを描くときの語で、自分の今の状態の説明としてはまず使わない。人前で自分について「慟哭しました」と言うと、聞き手には悲しみより先に「言い方を選んだ人」という印象が届き、悲しみを演出しているように見えることがある。他人を描く場合も強度が高いので、涙ぐんだ程度の場面に当てると大げさになり、書き手の目の粗さのほうが目立つ。面接やESで座右の銘に掲げる語ではない。悲嘆そのものを指す名詞で、そこから何をするかを一切含まないため、掲げても自分の行動が何ひとつ説明できない。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 慟哭の類義語は?
- 号泣、号哭、哀哭、悲嘆
- 慟哭の由来は?
- 精選版日本国語大辞典は「慟哭」の項に、日本での早い所出として色葉字類抄(一一七七〜八一年)を挙げ、漢籍の参照文献として李白「古風」其五十四を挙げる。李白のその詩は「晋風日已頽、窮途方慟哭」(晋の気風は日々衰え、行きづまった果てにようやく慟哭する)と結ばれ、追いつめられて声をあげて泣く文脈で二字が使われている。