同気相求(どうきそうきゅう)
気性や価値観の似た者同士は、自然と引き寄せ合って集まるということ。
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そのまま使える例文
部の紹介で「同気相求というとおり、本気の人が自然と集まる場所です」と新入生に伝えた。
深掘りに備える — 由来
出典は『易経』乾卦の文言伝。九五の爻辞「飛龍天に在り、大人を見るに利あり」を解いた箇所で、孔子の言として「同声相応じ、同気相求む。
聞かれたら: 「易経に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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出典は『易経』乾卦の文言伝。九五の爻辞「飛龍天に在り、大人を見るに利あり」を解いた箇所で、孔子の言として「同声相応じ、同気相求む。水は湿に流れ、火は燥に就き、雲は龍に従い、風は虎に従う」(同じ響きの声は互いに応じ合い、同じ気を持つ者は互いに求め合う。水は湿った所へ流れ、火は乾いた所へ燃え移り、雲は龍に、風は虎に付き従う)と自然の理を並べ、聖人が現れれば万物がこれを仰ぐ、と続ける。故事成語を知る辞典はこの文脈を、立派な人物が現れればそれを補佐する人物も必ず現れるという意だと説く。文言伝は『易経』の解説部分である十翼の一つで、伝統的に孔子の作と伝えられるが、成立時期や著者には諸説がある。日本の辞典では「同気相求む」(故事成語を知る辞典・イミダス)や「同気相求める」(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)の訓読形で見出しが立ち、四字の形で立項するのは四字熟語辞典オンラインなど一部にとどまる。精選版日本国語大辞典は室町中期の『文明本節用集』にこの語を見出し、近代の用例としては故事成語を知る辞典が太宰治『惜別』(1945)の「日本語不自由組の同気相求めた結果」を引く。
似た語と間違えない
「類は友を呼ぶ」は同じ『易経』でも繋辞上伝の「方は類を以て聚まり、物は群を以て分かる」を由来とし、ことわざとして日常で軽く、ときに揶揄を含んで使われる。「同気相求」は古典の句をそのまま四字にしたぶん改まった調子になる。「同声相応」は文言伝の同じ一節の前半で、声が響き合うという比喩で呼応し合う関係を言い、集まるという結果までは含まない。「同類相求」は意味はほぼ同じだが、出典は『史記』伯夷伝の賛「同明相照らし、同類相求む」で、『易経』ではない。イミダスはほかに「牛は牛づれ馬は馬づれ」「同病相憐れむ」を類句に挙げる。
こんなシーンで使う
仲間の集まり方を説明する場面に向く。部の紹介や送辞で使うと、聞き手である新入生や部員には「たまたま集まったのではない」という結びつきの説明として届く。出典が『易経』にあるため、深掘りされても由来を一言添えて答えられる。口頭では四字の音読み「どうきそうきゅう」より、辞典の見出しにもなっている「同気相求む」の訓読のほうが耳で意味が取れるので、スピーチでは訓読形を選ぶとよい。ただし集まった者同士の同質性を肯定する言葉なので、多様な人を迎えたいという文脈で使うと内輪を称える響きに転じやすい。太宰治の用例のように、似た者ばかりが固まったことを皮肉って使うこともできるが、人前で他人の集まりに向けて言えば揶揄になる。なお「同気」には兄弟・同胞の意(『太平記』「同気兄弟の愛」)もあるので、血縁の話と取られないよう文脈を整えたい。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 同気相求の類義語は?
- 同声相応、同類相求、類は友を呼ぶ
- 同気相求はどんな場面で使いますか?
- 部活で使うとき
- 同気相求の由来は?
- 出典は『易経』乾卦の文言伝。九五の爻辞「飛龍天に在り、大人を見るに利あり」を解いた箇所で、孔子の言として「同声相応じ、同気相求む。