電光石火(でんこうせっか)
稲妻の閃光や、火打ち石を打ったときに散る火花のように、きわめて短い時間のたとえ。転じて、動作や振る舞いがきわめて素早いことをいう。
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そのまま使える例文
年頭の抱負として「今年は電光石火の判断と、そのあとの粘り強さの両方を磨きます」と部のミーティングで宣言した。
深掘りに備える — 由来
デジタル大辞泉は、稲妻や火打ち石が発する閃光を「きわめて短い時間のたとえ」とし、そこから動作の素早さを表す用法が生まれたと整理する。精選版日本国語大辞典も語義を二つに分け、初出の実例として『新撰類聚往来』(1492〜1521年頃)の「見レ身只如二夢幻泡影一、又似二電光石火一」と、『鉄眼禅師仮名法語』(1691年)の「電光石火の我が身、しばらくもとどまることあたはず」を挙げる。
聞かれたら: 「『新撰類聚往来』に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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デジタル大辞泉は、稲妻や火打ち石が発する閃光を「きわめて短い時間のたとえ」とし、そこから動作の素早さを表す用法が生まれたと整理する。精選版日本国語大辞典も語義を二つに分け、初出の実例として『新撰類聚往来』(1492〜1521年頃)の「見レ身只如二夢幻泡影一、又似二電光石火一」と、『鉄眼禅師仮名法語』(1691年)の「電光石火の我が身、しばらくもとどまることあたはず」を挙げる。つまり古い用例の中心は、人の身のはかなさ、一瞬で消える時間の短さであり、「素早い動作」の用法として載るのは江戸中期の浄瑠璃『伽羅先代萩』(1785年)の例である。中国側では、台湾教育部『成語典』が『兒女英雄傳』第二三回の「便是廝守百年,也不過是電光石火」を語本として挙げ、あわせて仏教類の参考語料にも収める。一部の解説は禅の語録『碧巌録』を由来とするが、確認した辞典では裏づけが取れなかったため、本辞典では特定の一書を出典とは断定しない。
こんなシーンで使う
実況や試合後のコメントなど、一瞬の動きを切り取る場面で収まりがよく、聞き手には「無駄のない鮮やかな動き」という像が届く。ただ、面接で自分の仕事ぶりに使うと、面接官には「速さしか語れない人」に見えかねない。判断の速さを言うなら、その前提にあった準備や確認を一言添えると、速さが雑さではなく段取りの結果として伝わる。古い用例ではもともと「はかない時間」を指す語でもあったため、「電光石火の人生だった」のように弔意の席で使うと、短く散った命を示唆して不穏に響く。
よくある質問
- 電光石火の由来は?
- デジタル大辞泉は、稲妻や火打ち石が発する閃光を「きわめて短い時間のたとえ」とし、そこから動作の素早さを表す用法が生まれたと整理する。精選版日本国語大辞典も語義を二つに分け、初出の実例として『新撰類聚往来』(1492〜1521年頃)の「見レ身只如二夢幻泡影一、又似二電光石火一」と、『鉄眼禅師仮名法語』(1691年)の「電…