挙案斉眉(きょあんせいび)
妻が夫を敬い、夫婦が互いに礼を尽くして仲良く暮らすこと。
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そのまま使える例文
結婚披露宴のスピーチで「挙案斉眉という言葉があります。互いに礼を尽くすご夫婦であってください」と述べた。
深掘りに備える — 由来
『後漢書』逸民列伝の梁鴻伝に見える故事による。後漢の梁鴻は太学で学びながら官には仕えず、同郷の孟氏の娘を妻とした。
聞かれたら: 「『後漢書』逸民列伝・梁鴻伝「為人賃舂、毎帰、妻為…に由来する言葉です」と出典を一言添えられると強い。
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『後漢書』逸民列伝の梁鴻伝に見える故事による。後漢の梁鴻は太学で学びながら官には仕えず、同郷の孟氏の娘を妻とした。伝によればこの娘は「状肥醜にして黒く、力は石臼を挙ぐ」と記される女性で、三十歳まで縁談を断り続け、理由を問われて「梁伯鸞(梁鴻)のような賢者を得たい」と答えたという。嫁いで七日、着飾った姿に梁鴻が口をきかないと知ると、妻は布衣に着替えて山に隠れ住む覚悟を示し、梁鴻は「此れ真に梁鴻の妻なり」と喜んで孟光の名を与えた。二人は霸陵山に隠れて耕織で暮らしたが、都を通った折に宮殿の壮麗と民の労苦を嘆く「五噫の歌」を作って皇帝(粛宗)の不興を買い、姓名を変えて呉の地に移った。そこで大家の皋伯通の軒下に身を寄せ、人に雇われて米を搗く暮らしをする。伝には「人の為に賃舂す。帰る毎に、妻食を具え、敢えて鴻の前に仰ぎ視ず、案を挙ぐること眉に斉しくす」(為人賃舂。毎帰、妻為具食、不敢於鴻前仰視、挙案斉眉)とある。「案」は食事をのせる膳のことで、孟光は夫の顔を見上げようとせず、膳を自分の眉の高さまで捧げ持って差し出した。皋伯通は「彼の傭、能く其の妻をして之を敬すること此くの如くならしむ、凡人に非ざるなり」と驚き、梁鴻の一家を自邸に迎え入れたという。ここから「挙案斉眉」は、妻が夫を敬うこと、転じて夫婦が互いに礼を尽くして睦まじく暮らすことのたとえとして使われるようになった。日本の国語辞典(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)が立項するのは後半二字の「斉眉」で、「妻が夫を深く尊敬して仕えること」「斉眉の礼」と説く。四字の形は台湾教育部の『重編国語辞典修訂本』『成語典』が「舉案齊眉」として収め、「夫妻相敬如賓(夫婦が賓客のように敬い合う)」のたとえと釈し、『儒林外史』第十回の「夫妻挙案斉眉」などの用例を挙げる。「孟光挙案」「斉眉挙案」の形も同書に別形として見える。
似た語と間違えない
日本の辞典は「斉眉」を「妻が夫をあつく敬うこと」(精選版日本国語大辞典)と釈し、台湾の辞典は四字で「夫婦が賓客のように敬い合うこと」と釈す。片方向の礼から双方向の敬愛へ、辞典によって語釈の重心がずれている語で、聞き手がどちらで受け取るかは場に左右される。台湾教育部の成語典は類義に「相敬如賓」「琴瑟和鳴」「魚水和諧」を、対義に「琴瑟不和」を挙げるが、日本の国語辞典は類義語・対義語を示さない。似た場面で使われる「夫唱婦随」は、夫の主張に妻が従うという役割の上下をそのまま述べる語で、礼を尽くす描写はない。「琴瑟相和す」は夫婦の仲が音楽のように調和していることを言い、礼儀作法の描写は含まない。「孟光挙案」は同じ故事を妻の名で呼んだ別形である。
こんなシーンで使う
結婚を祝う場面や、長く連れ添った夫婦を紹介する場面で使うと、聞き手には「互いに敬い合っている関係」として伝わる。ただし故事の中身は、妻が夫の顔を見上げずに膳を捧げるという、上下のある礼の形である。披露宴の祝辞で使うなら「妻が夫を立てる」ではなく「互いに礼を尽くす」意味で用いていると一言添えたほうが、聞き手に古い夫婦観を押しつける印象を与えずに済む。由来を添えるなら、孟光が飾りを捨てて夫と同じ暮らしを選んだ場面まで語ると、礼の形ではなく志を同じくした二人の話として聞き手に届く。自分たちの夫婦仲を自称する語としては大げさに響き、面接や自己PRで使う場面はほぼない。
以下のテーマ・シーンでよく使われます。
よくある質問
- 挙案斉眉の類義語は?
- 相敬如賓
- 挙案斉眉の由来は?
- 『後漢書』逸民列伝の梁鴻伝に見える故事による。後漢の梁鴻は太学で学びながら官には仕えず、同郷の孟氏の娘を妻とした。